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その山で何を食べよう
初めて山での食事に感銘を受けたのは、西表島で沢登りをしたとき
20代前半でひとりで民宿を訪れたわたしは、宿の常連のおじさんたちに可愛がられた
「明日沢登りに行くけど、一緒に行く?」
自分の両親よりも年上のおじさん達に着いていくと、彼らはずんずん森をかき分け、大きな岩を登っていく
「毎年来てるから、自分で道を開拓してるんだよ。ここはガイドツアーでは来ない場所だよ」
と言いながら、山菜を摘んでいた
山頂に着くと、お湯を沸かし、バッグを漁り始めた
「これ、昨晩打ったんだよ」
と出てきたのは うどん!
そして別の鍋に3cmほど油を注ぎ、衣をくぐらせ、天ぷらを揚げ始めた
茹でた麺にお手製のめんつゆ、天ぷら、薬味をかけ、目の前に差し出された
崖の上から鬱蒼とした緑を見下ろしながら、熱々の山菜天ぷらうどんをすすった
時は経ち、キルギスでアメリカ人の青年と出会った
地図をこよなく愛す彼と、あらゆる山を歩いた
8月のキルギス北部は、ベリーのシーズン真っ盛り
ラズベリー、ブラックベリー、カシス、野いちご…
あらゆるベリーを摘みながら山を歩いた
9月の上旬になると、キルギス南部のTurkestan rangeという人里離れた山へ行った
英語でさえほぼ情報の出てこない山で、タジキスタンの飛び地であるVorkhに近い為、通行許可が必要になる
Ozgorushという麓の村を離れると、誰ひとり登山者に会うことはなかった
縦走をしていると、4日目ぐらいに食欲がピークを迎える
食べても食べても、お腹が空くのだ
食料を多目に持ってきたはずなのに、全然足りなく感じた
5日目、山頂で昼食をとっていると横に置いたはずのサラミが忽然と姿を消した
見渡すと、犬が私達のサラミを咥えている
そこにひとりのおじさんが現れ、犬をひどく叱り始めた
全く状況が読めなかった
まさか、こんなに人里離れた山で、人間に出会うと思っていなかったからだ
木の杖に長靴、双眼鏡、帽子を被り、よく陽に焼けていた
彼は、羊飼いだった
Batkenという、徒歩だと1週間ぐらいかかる離れた町に家族がいて、夏だけこの山で放牧しているという
自分の家はこの峠を降りたところにあるから、食事をしていけという
もうお腹はぺこぺこで、僅かなサラミもなくなったし、天から降りてきた恵みを有り難く受け取ることにした
しかし、おじさんが家まで案内してくれるのかと思いきや、まだ羊番の真っ最中
家に勝手に入って、食べて行けという提案だったようだ
石造りの彼の家は良く手入れされていた
屋根の上でトマトを干し、ひと夏の保存食にするつもりだろう
家主のいない家に上がり込んで食べ物を食べる気にはならず、その石の家を通り過ぎた
この石造りの家を人々はKoshと呼び、春先には狩猟や放牧の途中の寝床として、夏には定住地として利用している
Turkestan rangeでは、草が生い茂る5月頃に2-3日かけて牛やヤクを山に連れ出す。そして飼い主だけ村に戻るようだ
自ら群れを成す牛やヤクは、羊のように常に見張る必要がないのだろう
彼らが山に行くとき、寝袋やテントは持たない
油や砂糖、じゃがいもやパスタなどの食料をサドルバッグに入れ、2泊3日、Koshを転々とするのだ
そして、6月下旬から羊を山に連れ出し、9月上旬までひとつのKoshに身を置くようだ
そんな知識もない頃、人里離れた山で人間に出会ったことに感動し、孤独じゃないという励みになった
翌日、またひとつ山を越え、標高2800m付近まで下ると、鈴の音が聞こえてきた
羊の群れだ
つまり、人が住んでいるサイン
案の定、300m進んだ先に、双眼鏡を首から下げたおじさんがふたり、斜面に体操座りして手招きしていた
「羊を捌いてあげるからうちに泊まりなよ」
しばらく奥さんや子供の写真を見せてもらい、陽が暮れかけた頃一緒に山を下る
乾いた砂地で、滑りやすかった
彼らは慣れた足取りで乾ききった斜面を下り、彼らのKoshに案内してくれた
水を汲み、薪を集め、火を起こし、チャイを沸かした
光がほとんど入らず暗い家の中でさえ、手入れが行き届いていることがひと目で判った
「羊を捌いたことはある?手伝ってくれ」
そう言われ、これまで動物性のものを食べてきたはずなのに怯んでしまった
「僕はできない、僕はできない、僕はできない」
ナイフを渡された彼は泣きそうになりながら何度も唱えていた
そうこうしているうちに、彼らは一頭の羊を群れから連れ出し、すべての脚をロープで縛り付けた
結局、私達が立ち入る隙もなく、手際よくことが進められた
刃渡り20㎝程のナイフを念入りに研ぎ、祈りを捧げながら羊の首に刃を入れていく
そのまま腹まで一気にナイフを入れる
羊はふっと溜息をつき、息を引き取ると同時に、糞がぽろぽろと溢れ出す
首を折り、後ろ足だけ梯子に結びつけて宙づりにし、桶に血を集める
ナイフで丁寧に全体の毛皮を剥いでいく
腹を切り裂き内蔵を取り出すと、心臓はまだかすかに動いていた
芸術のような手捌きだった
さっきまで生きていた愛くるしい羊なのに、食べることを赦されるような気分になった
チャイを飲んだあと、彼は中華鍋で脂を炒め始めた
細かく切り分けられた肉は、先程までの羊の姿と重ね合わせることができないほど、見慣れたものだった
脂がじんわり溶けた頃に玉ねぎとじゃがいも、肉を投入した
壁にかけてある布袋からパンを取り出すと、それはカビていたようで、ナイフでカビを落としてからアルミの蓋に乗せ、鉄鍋からの熱でパンを温めた
鍋のまま私達の中心に鉄鍋が置かれる
シンプルなクルダックだ
彼らは私達の分を陶器の器に取り分ける
脂の部分をよく勧められるのは、客だからだろう
余談だが、キルギス南部やタジキスタンでは、ぶるぶると大きなお尻を揺らしながら歩く羊が多い
これはタジキスタン原産のギサール種といい、高山の牧草地の過酷な条件にも適合する。さらに、彼らは長距離移動にも容易に耐え得るという
肉質は良いが、毛質は荒いため、ほとんどが食用のために育てられているという
中央アジアではご馳走のプロフやクルダックを作る際、お尻の脂の部分から炒め、油をとる
全ての条件が一致してしまったがために、産まれた瞬間から食べられる運命なのだ
脂たっぷりのはずなのに、その脂がなぜかしつこくない。
普段ならもっと食えと勧められるほどのろのろ食べる私だが、今日は違う。ぺこぺこだ
彼らに倣って手掴みで、油まみれになりながら貪る様に食べた
ひとくちごとに、燃料タンクが満たされていくのを感じる。それほど身体はそれを欲していたようだ
食べ終えると、彼らは私達の布団を敷いて、別のKoshに移動した
久しぶりにお腹を十分に満たされ、野生動物に食べ物を盗まれる心配もなく熟睡した