川を想う。
2024年8月21日(水)
美術あんま詳しくない人に「キュレーター」と言ったら、「サーキュレーター?」と言われた。
風は起こさんよ。
起こしたいけど。
起こせるもんなら美術界に嵐を巻き起こしたいよ。
スゴい夕立ちだった。
道路が水浸しになった。
人の消えた路上に水が溢れ、流れ、川となっていく様は、荒涼とした大地に川が誕生した太古の時代を想起させた(大げさ)。
都市に暮らす現代人は普段、川を意識することはあまり無い。
都市の川は暗渠化されて、臭いものに蓋をするが如く、見えないものにされていたり、たとえ見えても、異様なほど高いコンクリート壁に挟まれた奇妙な水の流れでしかなかったりする。
まして、川が生まれる時なんて意識することは全く無い。
でも、いつかの大昔は川なんて無かった訳で、流れる川の、その変化する流れが表すように、本来の川というのはそこに「ある」ものよりも「生まれる」ものなんだろうなと思う。
飛行機でアメリカを横断した時に、うねりまくり、支流が生まれまくっている大河を見て感動した(高低差が小さいから蛇行したり分岐したりしやすい)。
川が生きていると思った。
あの感覚が蘇る。
スケールは違っても物理現象は同じだ。
川に行こう。
9月に入ったら川に行くんだ。
ところで、夕立ちで生まれたと思った川は、雨が弱まるとあっという間に消えてしまった。
都市の排水はスゴい。
きっと暗渠が大活躍してくれているんだろう。
見えないところで。
暗渠みたいな人間になりたいよ。
「ゲリラ豪雨」と言いかけたけど、「夕立ち」と言った。
「ゲリラ豪雨」という単語にはどこか下品な響きがある。
「ゲリ」のせいと思ってたけど、「ゲ〜ご〜」の濁音のリズムのせいでもある気がする。
もちろん、これまでの気象用語じゃ捉えきれない危険な雨を表現したいという意図があることは重々承知しているので、耳に入ってくる分にはまぁイイんだけど、僕の口から出る言葉は「ゲリラ豪雨」より「夕立ち」であって欲しい。
そんな雅な人間ではない、と言うか、どちらかと言うと「ゲリラ豪雨」側の人間ではあるが・・・言葉だけでも上品でいたいと願う。
ちなみに、沖縄の方言では「夕立ち」のことを「夏ぐれ」と言うと、琉歌(沖縄の短歌みたいなの)で知った。
美しい。
「夏ぐれ」、好きな言葉なんだ。