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名言が響かなかった日々

どんなに的を射た言葉であっても、全く響かない。そんな自分は、どうしようもなく、救われようがないんじゃないかと思えて苦しい。
そんな時があったし、きっとまたあるのだろう。

ここ半年とか1年とか、noteを書いては消し、書いても、公開されない下書きが増えるだけ…みたいな状態でした。

以前も書いたのだけれど、私はnoteには苦しいこと、リアルで私を知っている人が読んで辛くなってしまうようなことは書き残したくないと思っています。

ここ最近はなんかこう、暗ーいこととか、前向きに見せかけた愚痴みたいなことしか浮かばなくて、あー、これは駄目だなあ…という状態でした。

ただ、そんな時期もやっと抜けて、辛い時期も「あった」と表現できるようになったので、書き残してみようと思います。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と父もよく言っていたけれど、本当にそうだと思うので、またそんな時期も来るのだろうな、というのはわかっているのだけれど、それもそれとして落ち着いて向き合えている今日この頃です。

ここしばらく、仕事が五里霧中っていう感じで。
仕事の内容が変わったというのもあるのですが、がんばってもがんばっても成果が出ないような気もしたし、
私では役者不足です…無理です…と思うことばかりでした。
完全に自信を喪失していたし、それは仕事だけじゃなくて、なんかもう生きることに向いてない…くらいの気持ちでいました。

で、そんなときに、なんとか自分を奮い立たせようと、「モチベーションが上がる名言」「気持ちが楽になる考え方」的なものを検索しはじめまして…。

で、全く響かず、響かない自分に更にショックを受けてしまった言葉があったわけです。

それは


「仕事でミスをしても、『命まで取られるわけではない』と考えればいい。」

よーく言われている言葉で。
たぶんこの言葉に「否」という人はほとんどいないと思います。
※自分の命、他人の命に対する責任を負う仕事はあると思うので、そういう方たちは別として。

でも、当時の私の気持ちは
「…仕事でミスをする、自分の未熟さを人に知られる、駄目な奴だと思われる方がつらいんですけど…どうしたらいいの…」
でした。
そして、そういう自分に対して「プライドが高い」「自意識過剰」みたいな言葉が浮かんで、あー、もう辛い。辛すぎる、自分はなんて駄目な人間なんだ…と自己嫌悪、マイナス思考の無限ループに陥っておりました。

ただ、今振り返って思うんですが、当時は本当に心が危機的状態だったのだと思います。自分一人では解決できないほどに。
事実、抜け出すために専門家の力も借りました。

当時の自分を振り返ってみると、「なんでそんな風に思っちゃったかなあ」というのと同時に、「あの時は仕方がなかったよねえ…」という気にもなります。

何が書きたいのかわからなくなってきたけれど、
・どうしようもない時期はある。
・前向きに考えられなくても自分を責めない。
・きちんと向き合える、専門家の力を借りる。
ということを書き残しておこうと思います。

夜明け前が一番暗いのは確かだけれど、一人で夜明けを待つのが辛すぎるときもあるから、人に頼ってもいいんじゃないかな、とかそんな気持ちです。


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