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紅クラゲの午睡 7.

第1話から読む

正月の新宿の寄席(前座さんの気持ち)

 待ち合わせは新宿の伊勢丹入り口にした。霧島さんは、町田から一緒に行かないかとLINEで返してくれたが、町田~新宿間の会話が保つか不安だったので、『前に新宿あたりで用事がありますので』と返信して勘弁してもらった。実際、今日行く場所の下見もしたかった。デートに下見は必須だとサークルの先輩から伝授された・・・でもその先輩、彼女いないな・・・
 新宿伊勢丹は元日は休業だけど、入り口付近で何人か待ち合わせをしている。振り袖姿の女性もいる。
 霧島さんもその中にいた。ライトグレーのファーコートに黒のショートパンツとストッキング姿。亜麻色の髪の美しさがひときわ目立つ。でも・・・クリスマスに会った時より、さらに子供っぽく見える。少しは僕に打ち解けてくれたから、そう見えるのだろうか。
 僕を見つけると軽く手を振って微笑んでくれた。

 僕たちは信号を渡り、向かって左の細い道に入る。寄席の名前がついたその通りは飲食店が建ち並び、正月の午後だというのにすでに何件か営業している。
 伝統をズシリと感じる佇まいの寄席に着き、木戸という入場料売り場でお金を払う。霧島さんは2人分払おうとするが、僕は懸命にお願いして割り勘にしてもらった。代わりに、寄席に入ってすぐの売店でお茶を買ってくれた。
 座席を見渡すと、舞台(高座)に向き合った普通の座席の両側に、靴を脱いで上がる席(桟敷席)があり、そこに座るのはちょっと勇気がいるなと思っていたら、霧島さんは『こっちの方が楽しそうね』と言って靴を脱ぎ、座布団を受け取っている。こういうとこ、大人でスマートでかっこいいなと憧れる。

 この寄席では正月に『初席』という催しが行われており、僕たちは15時からの第二部に来ている。常連さんで顔見知り同士の方も多いようで、客席は何となくアットホームな雰囲気だ。
 開演間近。ドドドンと太鼓の音が響き、ステージ上に着物姿の男性が出てきて、縦長の札(めくりと言うそうだ)をめくって、出演者の名前を表示させた。
「あの人は、寄席のスタッフの方ですかね・・・」
 独り言のように僕がつぶやくと、
「『前座』さんと言って、落語家として修行している人みたい。寄席がある日は、師匠のお世話や、太鼓を叩いたり、あんなふうにめくりをめくったり、次の出演者のためにセッティングをしたり、忙しいみたい。そして、『開口一番』で一席披露する・・・」
「へえ、開口一番の語源って落語から来てるんですかね・・・霧島さん、詳しいですね!」
 僕が驚いていると、
「ううん、実はね、高野君が寄席に連れて行ってくれるって言うから、ネットで大慌てで調べただけ。少しでも知っておいた方がおもしろいかなって。」
「勉強不足ですみません・・・」
「あ、予備知識なしで体験するのも楽しみ方のひとつだと思うわ。」
 何だか霧島さんにフォローされてしまったが、寄席に誘った身としては、少しは下調べしておいた方がカッコよかったかなと反省する。
 ちなみに、今まで出てきた(木戸)(高座)(桟敷席)(めくり)も霧島さんに教えてもらった用語だ。 

 前座さんの一席が始まる。若いお弟子さんが少し緊張気味に話すのが初々しい。客席からは暖かい激励のやじが飛ぶ。なんかいい雰囲気だなと感じた。自分の演目を終え、前座さんは深々とお辞儀をすると、高座から一旦下がり、再び出てきて座布団をひっくり返し(高座返しと言うそうだ)、めくりに向かった。
 その時。
 前座さんは、どうした弾みか足をすべらせ、こけた。客席からは笑い声とともに「緊張してんのかー?」「今のが一番ウケたぞ!」などやじが飛んだ。前座さんは大げさに頭を掻きながら笑顔でそれに応えていたが、多少口元が引きつっているようにも見えた。

 その後、落語を中心としに、講談やコントに曲芸など、多彩な演目が繰り広げられた。奥が深い・・・それぞれの演技から、勉強することは山ほどあるなあと感じた。
 演目の後半は、ベテランの方が揃っているらしく、客席とのやりとりもうまい。ウケどころをはずしても、それをしっかり拾ってネタにするし、お客さんとのやりとりで出てきた言葉から、次の話につなげたりする。僕がやっている『クラウン』は、ほとんど言葉を発しないがコミュニケーションの取り方がすごく参考になった。

 コントの演目の時。
「あんた、なにさっきから台詞噛んだり忘れたりしてんの?」
 ツッコミの人が文字通り突っ込むと、
「いや、ついつい桟敷席のべっぴんさんが気になってしまってな・・・」
 ボケの人が、手でこちらを指し示す。客席の視線が一斉に集まる。霧島さんは恥ずかしそうにしながらも、笑顔で出演者に手を振った。

 休憩(お仲入り)を挟んでたっぷり3時間。笑いを研究している僕としてはすごく充実した時間だったが、霧島さんはどうだったろうか?
 演目の最中、客席がどっと沸いた瞬間など、チラチラと彼女の様子をうかがっていたが、ちゃんと一緒に笑っていたように思う。

 第二部が終わって外に出ると、すっかり暗くなっている。
 地下鉄の駅の方に歩いて行くと、香ばしい煙が暴力的に誘ってきた。

「いい匂いね、焼き鳥、食べていこうか?」
 霧島さんに提案され、煙の発生源に向かい、モモ、手羽先、皮、巨大なつくね、しいたけ、ピーマンなどの串焼きと、モツ煮込みをいただいた。ここは出すからと、またしても霧島さんに奢ってもらってしまった。

 帰りの小田急線は、二人並んで座れた。
 『木戸』でもらったパンフレットを広げ、今日の寄席の感想戦を行った。
 出演順に、それぞれ面白かった台詞や芸風などを語り合う。
 
 それが済むと、霧島さんがぽつりと言った。
「でもね。なんかすごく印象に残っているのが、『前座さん』がこけたところかな。」
「そうなんですか。」
 実は僕もそう思っていた。
「ええ、多分あれはウケ狙いとかじゃなくて、本当にこけちゃって・・・内心、本人は失敗したなあと焦ったと思うんだけど、それを見ている人は笑えたり、楽しくなったりする。」

 ・・・僕は、秋のショッピングモールでのパフォーマンスを思い出す。
 自分にとっては失敗の連続でしょげていたが、霧島さんやお客さんにはウケていたらしい。 

「なにかアクシデントが起きたとき、その受け止め方は、自分と周りの人だと随分違うんだなあって思ったの。」
 そう言って、霧島さんは、座席と反対側の窓の外をぼーっと眺めた。
 前座さんに起こったことを何か、自分の身に重ねているんだろうか。

 町田駅に着き、駅の改札で霧島さんを見送った。
 
「高野君。今日はどうもありがとう。寄席の雰囲気、すごく楽しかった。」
「そう言ってもらえると、嬉しいです・・・それから、焼き鳥、ご馳走様でした。」

「いえいえ、じゃあ、また明日ね。」
 そう、明日もあるのだ。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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