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紅クラゲの午睡 14.
春休み(三人兄妹)
「そこの君! 止まりなさい!」
これで三度目だ。夕方のタイムセールに間に合うよう、急いでいたのだが・・・
渋々ママチャリを停め、スタンドを立てた。警官が近寄ってくる。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
前と後ろのチャイルドシートから同時に声がかかる。
「ああ、お巡りさんがお話したいんだって。」
「またー? お兄ちゃん、何も悪いことしてないのにね。」
「だいじょうぶ。すぐ終わるから。」
男子高校生が、保育所に停めてあった自転車ごと、子供達を誘拐。警官の方々はそっちの方に想像力が豊からしい。
僕は学生証を見せ、事情を話す。学生証はもうすぐ学校に返さねばならない。
僕はまずこのママチャリが、以前母が使っていたものであることから話し始める。
「事情はわかりました。色々と大変でしょうから、困ったことがあったらいつでも派出所に相談に来てください。」
アパートの近くの派出所の警官だった。これでママチャリを停められることも減るだろう。職務質問は彼らの義務であって、根っこのところは困った人の味方なのだ。
行きつけのスーパーの駐輪場にママチャリを停め、二人の妹をシートから降ろし、ヘルメットをはずす。後ろのシートに座っていたのは、四歳のスミレ。亜麻色の髪は母親譲り。前のシートは、三歳のエミ。赤毛は父親譲り。二人は手を繋いで走ってスーパーの入り口に飛び込む。
「こらこら、走らないんだぞ。」よく父が二人にそう注意していた。僕もそう呼びかけた。我ながら、言い方も声も父に似ているなと思った。
買い物カゴを取り、惣菜コーナーでタイムセールをやっている陳列棚に近づくと、二人の妹は既に物色を済ませ、赤い値札が貼ってあるポテトサラダとナポリタンとイカのゲソ揚げのパックを抱え、僕が持つカゴに入れた。栄養のバランスが気になったが、まあまあいいだろう。
お菓子コーナーに寄り、ご褒美に一つずつ好きなものを選ばせる。二人はニコニコとお互いのお菓子を見せ合い、カゴに入れた。500mlの牛乳も追加し、レジに並んだ。
アパートの駐輪場に自転車を停めると二人に先を歩かせ階段を上る。
レジ袋で塞がった手で何とか鍵を取り出し、ドアを開ける。二人の妹は靴を脱ぐやいなや、バタバタと廊下を走り居間に飛び込む。
「ただいま、ママ、パパ。」
二人は両親の写真に挨拶し、手を合わせる。
「よし、いい子だな。手を洗ったら、おやつ食べていいよ。」
「はーい。」と声を合わせて狭い洗面所に向かった。
不慮の事故で両親が亡くなった時、妹たちはすでに物心がついていたが、そんなに激しく泣かなかった。でも、葬儀からしばらくは何かに堪えるように二人は塞ぎ込んでいた。
僕はネットで動画を探し、道化師の真似事を覚え、二人に披露した。何とか笑って欲しかった。それが功を奏したのか、少しずつ笑顔を見せるようになった。
スミレとエミのために僕は生きていく。僕は親の遺影に誓った。
湯船にお湯を入れ、風呂の準備をしたあと、ラップに包んで冷蔵庫に入れて冷やしておいたご飯をレンジで温め、タイムセールのお惣菜を器に移す。
「お風呂入っておいで。熱くないか、ちゃんと確かめるんだぞ。」
「はーい。お兄ちゃん、覗いちゃダメだよ!」
ませてるなあ。
たった今取り込んだばかりの洗濯物からバスタオルを2枚、畳みながら二人の頭の上に載せた。バスタオルを載せたまま、両手でバランスを取りながら仲よく風呂場に向かっていった。しばらくするとバシャバシャキャッキャと、水しぶきの音と声が聞こえ始めた。
テレビをつけ、残りの洗濯物を畳みながらニュースを見る。ニュースの特集では、ヤングケアラーの問題を取り上げていた。苦労している中高生は、いっぱいいるのだ。
洗濯物を片づけ終わる頃、スミレとエミは体にバスタオルを巻いて居間に戻って来た。
「お兄ちゃん、よく拭いて。」
「なんだよ、さっき覗くなって言ってたじゃないか。」
僕は順番に二人の頭をゴシゴシとバスタオルで拭き、下着とパジャマを渡した。風呂上がりの子たちは、ほっぺたがツヤツヤピカピカだ。
温め直したお惣菜などの配膳は、二人がやってくれた。本当は味噌汁も出したかったが、今日は勘弁してっもらおう。
食事が終わると二人に歯を磨かせ、僕は布団を敷く。まだまだ寝てくれる時間じゃないが、この子たちは、布団の上でごろごろ転がったり、絵本を読んだりするのが好きなのだ。時々僕もつきあわされる。
そうやって遊んでいるうちに、疲れて眠くなって寝てしまう。僕は二人を抱っこしてそれぞれの場所に移し、ふとんをかけ照明を落とした。
食器を洗った後、シャワーをして少しだけ湯船に浸かる。
天井を見上げ、ボーッと考える。
保育所の迎えや家事は大変だが、あの子達はいい子にしていてくれて、手がかからない。簡単な手伝いもしてくれる。
何かを我慢させて、何かを無理させてるんじゃないか? 最近そんな不安がずっとつきまとっている。
そう言えば、二人がわんわんと大泣きしているのを見たことがない。
・・・でもどうすればいい?
僕は風呂から上がると、スマホでバイト先を探す。両親が遺してくれた貯えや、保険金で今のところ何とかやっていけるし、家賃が安いこのアパートに引っ越しもした。でも、あの子達の世話をしながら高校には通えないし、将来のために短時間でもバイトをしたい。
希望する時間帯でのバイトはなかなか見つからなかった。
しばらくして、住んでいる街の児童相談所から連絡があった。学校は今休学しているので、妹たちを保育所に預けて児童相談所を訪れた。
僕が受付に声をかけると、個室に案内される。
そこには、以前僕と面接した若い女性担当者の他に、中年の男女が座っていた。
担当者の方が僕に紹介する。
「高野君、このご夫婦は『養育家庭』といって、子育てが難しくなった家庭のお子さんを預かって、育ててくださっています。高野君の家のご事情を話したら、妹さん二人なら預かれるって申し出てくださったの。」
特に養子縁組をするわけでもなく、わりと家の近所に住んでおられるので、僕らは離ればなれにならず、いつでも妹たちに会いにいけるという話だ。
「そうしたら高野君も高校を中退せず卒業できるし、将来的にもその方がいいと思うの。考えてみてくれるかな。」
僕は両親に、妹たちのために生きると誓った。でも僕と一緒に暮らして、何か我慢させ続けるのが、二人にとっていいことなのだろうか?
今日お会いしたご夫婦は人柄もよさそうだ。ひとまず『お試し養育』というものを受けさせてもらうことにした。
その翌週末、スミレとエミには僕の知り合いの家にお泊まりで遊びに行くと言って養育家庭のお宅に連れて行った。
そのお家は大きく、広い庭では、既に預かっている小学2-3年位の女の子が2人、子犬と一緒に走り回っていた。着いて早々、妹たちはそれに加わり一緒に遊び始めた。
「ろくに挨拶もせず、すみません。」
「いいんですよ、あんなに楽しそうだし。なんとか馴染んでくれるといいですね。」
養育里親の奥様は4人が遊ぶ様子に目を細めてそう言った。
「・・・そうだと、いいです。」
二人の様子を見ながら、僕も夕食までご馳走になってしまった。
ここで僕は帰り、スミレとエミは今日は一晩だけ泊まらせてもらう。
僕が帰り支度をしていると、スミレが寄ってきて、
「お兄ちゃんも一緒にお泊まりできないの?」
と聞いてきた。
「うん。スミレとエミで泊まらせてもらいな。困ったことがあったら、遠慮なくあのおじさんとおばさんに相談していいからな。」
僕が玄関から外に出ようとすると、妹たちは、ややこわばった笑みを浮かべて僕に手を振り、見送った。
翌日、日曜の昼に二人を迎えに行った。またお姉さんたちと子犬と一緒に遊んでいた。
エミが僕を見つけた。
「あ、お兄ちゃん。」
それを聞いてスミレも振り向き、二人でフェンスの際まで駆けよってくる。
「どうだ、楽しかったか?」
「うん、とっても。」とスミレ。
「ごはんもお兄ちゃんよりずっとおいしかったし。」とエミ。
それを聞いて少し悔しくて淋しかったけど、ああ、これでいいんだとも思った。
僕たちは、ひとまず養育里親のご家庭を後にした。いつからお世話になるかなどの詳しい打ち合わせと手続きは、児童相談所で行う。
ママチャリに載っている間、二人は無言だったがヘルメットを被っているので表情はわからない。アパートの駐輪場に自転車を停めると、いつものように階段をどんどん上がっていく。
しかし。
部屋のドアを開けると状況は一変した。
「やだー! ここにいる。」
「お兄ちゃんと絶対に離れない!」
「ママ、助けて!」
「パパ、何とか言って!」
二人は、父と母の写真の前にうずくまり、わんわん泣いた。
全身を使って泣いた。二人で抱き合って泣いた。
両親が死んでから、こんなに泣くのを見たことがない。
どうやら一緒に遊んでいたお姉さんたちから、二人がこの後どうなるか、聞いたらしい。
彼女らが我慢していたもの、堪えていたもの、溜めていた涙が全て堰を切って洪水のように流れ出た。
僕は二人を抱きしめた。
もう、離さない。
翌日、僕は児童相談所に「大変申し訳ありませんが、今回のことは無かったことにしてください」とお詫びの連絡を入れた。
児童相談所と養育家庭のご夫婦が事情を気遣ってくれて、妹の二人は基本的にこのアパートで暮らしつつも、高校の行事やバイトや勉強などで、保育所の送り迎えや世話が難しい時に預かってくれるとの変則的な対応をしてくれることになった。
その後。
二人の妹は、今までよりずっと笑い、泣き、ずっとワガママになった。
だから、これで良かったんだと思う。
◇ ◇ ◇
カーテンが閉まっていて、部屋の中は薄暗いが、窓の輪郭が明るい。小鳥の泣き声も聞こえる。
僕はカーテンを開け、窓も少しだけ開けた。
不思議な夢を見た。保育園生まで小さくなったスミレ。そして、エミまでも。高校生の僕が、この部屋で二人と一緒に暮らしている夢だ。
スミレとエミは、小さいままこの部屋のどこかに隠れているのでは、とさえ思えた。リアルではっきりとしている。
夢の中で、僕は二人に笑ってもらおうとしていた。そして、二人とも大泣きしたあと、笑えるようになった。随分ワガママになった。
この夢は、何を伝えようとしているんだろう?
いや。夢にあまり意味を求めちゃいけないな、とも思った。
夢の余韻が残り、ぼんやりとしている頭に刺激を与えるため、僕はお湯の温度を少し低めにしてシャワーを浴びた。
この後、僕は二人に頼まれた物を買って、スミレの家(表向きは大野店長のお家)に向かう。結局のところ、エミが居候を始めてから、毎日のようにスミレの家に寄っている。買い物などの御用聞きを頼まれたり、昼食や夕食をご馳走になったり。
エミと、彼女を助けようとして亡くなった両親の子であるスミレ。二人が一緒にうまく暮らしているのか、心配でもあった。
ピンポーン。
「いらっしゃい。」
「推定中学生」のスミレがドアを開けて、僕の両手からレジ袋を受け取ってくれた。
二人は、昼食の準備中だったようで、キッチンに戻ったスミレはエミに野菜の切り方を教えていた。家出娘は、一見同じ年代のスミレから色々教わるのが少し癪(しゃく)なようだが、言われる通りに包丁を動かしている。
キッチンのテーブルの上では、長い透明な花瓶に、僕が卒業式の時にプレゼントしたガーベラが2本、仲良く並んで元気に咲いていた。