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令和に八朔祭は消滅するのか-300年続く祭りを次の世代へ渡す使命-

第6回 祭りを継承するために

第2回から第5回+特別編の5回にわたり、みなと八朔祭りにおける問題点の共有と議論を行うための掲載を行いました。

今回は、内容を一新して、「祭りを継承するために」をテーマに掲載します。

テーマからすると、啓蒙的な内容だろうと推測されると思いますが、内容としては「これからどのようにして祭りに向き合っていけばいいのか?」という前提の議論です。

ただし、この点が共有されない限り、持続可能な祭りづくりはできないと思います。

なお、小難しい点も多々あるかもしれませんが、伝わるような表現に努めました。

また、今回は多くのご意見があるような内容だと思いますので、最後に自由記述のコメントをするためのアンケートフォームがございます。

ぜひ思われたこと・感じたことなんでも書いていただけると幸いです。

1.「神事である」ということ


「この祭りは、神事なんだ」
「年番をやれば、この祭りの本質に気づく」
長年この祭りに貢献されてきた方々はこのようにおっしゃるのではないでしょうか。

それと同時に、
「神事である以上、この形式を変えることはできない」
「現行の形式のまま、若い世代に伝承しなければならない」
このような声を多く聞くと感じます。

そこで、「なぜ『神事』を重要視するのか」についての本質に迫ります。

①無意識な信仰


第1回の投稿の中で、「氷山モデル」を示し「無意識領域が存在する」ということをお伝えしました。

簡単に言い換えると、「なぜそのような考えにいたるのかという要因は、自分自身では理解や認識できていない」ということです。

そして、この無意識領域の一番底辺に存在し、すべての考え方の土台になっているのは、「メンタルモデル」です。

(出所:https://note.com/kazukinishiyama/n/n400c96f00cd0)

「メンタルモデル」とは、人々はどのような信念や価値観、仮定を抱いているのかということを示すものです。

つまり、「なんでそう考えるの?」という最も根本的な原因は、信念や価値観、仮定によるものだということです。

では、この祭りにおける「信念」・「価値観」・「仮定」とは何なのでしょうか。

それは言うまでもなく「神事である」ということでしょう。

要するに、祭りを改革するにあたり「神事である」ということが無意識に最も影響を与えているのです。

2.神事が私たちにもたらすもの


祭りは大きく2つに分類することができると思います。

1.ひたちなか祭りのようなイベント的な祭り。
2.宗教的な信仰に基づく「儀礼」としてのお祭り。

みなとのまつりは、2つ目の「儀礼」としての祭りに当てはまります。

儀礼のもつ力は多くあるそうなのですが、
祭りの議論に必要な2点だけ「神道」のすごさについて述べます。

①アメリカも変革できなかった


戦後アメリカ軍は、「神道指令」を発して日本の国家神道を解体しようとしました。その結果、「国家と神道」の関係は断絶することができました。

しかし、「日本国民の神社に対する崇敬の念」は絶滅することができませんでした。

だからこそ、戦後もアメリカに変革されることなく、天満宮の祭りとして現代まで伝承されてきました。

また、それほど無意識に神社に対する信仰の念があるともいえるでしょう。

②儀礼は拘束する手段


祭り以外の儀礼として、冠婚葬祭があります。みなさんが冠婚葬祭に参加すると、当然言葉にできませんが、「かたいな」と感じると思います。

それは、冠婚葬祭が「儀礼」として形式的かつ厳粛に、規律性をもって、繰り返し執り行われるからです。

つまり、儀礼は一種の「不変の取扱説明書」が存在して、人々の行動が拘束されているのです。

同様に、みなと八朔祭りも、神事として「不変の取扱説明書」にならって、厳粛に執り行われていると捉えることができます。

また、「神事としての拘束」は、時が経てば経つほど、強固になります。

みなとの祭りが始まったころは、何度も改革をしていたのにもかかわらず、今となっては改革に向けた議論がむずかしくなっているのは、300年の伝統が神事としての拘束が強固になっている証です。

結論として、
『神事である』ということは、代々続く「取扱説明書」によって拘束されてり、かつてアメリカ軍による占領時にも変革することができなかったということです。

ただし、私はそうだからといって、一定程度の変革を行わない限りは,後世への継承が難しいと思います。

それを、第2回から第5回にわたる報告書で簡潔に問題点を掲載したつもりです。

ただ、問題の捉え方には2通り存在します。
これを捉え間違うと、後世への継承は難しいと思います。

3.問題の捉え方

問題は、2つにわけることができます。

1対処療法的な解決に結びつける問題。
2問題解決的な解決に結びつける問題。

人手不足問題で例をあげると、
1の場合は、自分の同年代の知り合いを呼び合うことで解決を図る問題
2の場合は、他地域と協定を結んだり、新規参加者を募ったりすることで解決を図る問題の捉え方になります。

つまり、「その場しのぎでよいとする問題」と「将来を見据えて根本的な解決を図ろうとする問題」にわけられるということです

伝統を継承することを目的とした場合は、2の場合の問題の捉え方をして解決を図らなければ、次の世代に継承するという使命は果たせないのではないでしょうか。

4.共通の問題意識


最後に、神事であることを前提に、一番最初に行わなければならないのは、共通の問題認識をすることです。

「この祭りの何が問題であるのか」
みんなが同様の問題意識をしなければならなりません。

そして、次のステップとしては、「共通価値を創造する」ことです。この祭りが持つ価値がなんなのか、つまり、「みなとの祭りとはなんなのか」。

この点をみんなで共有することができれば、衰退してしまっているこの祭りを一歩ずつ前進させることができるのではないでしょうか。

5.総まとめ

結論として、
この祭りの根本には神事と言う名の「無形の心理的な拘束を伴う取扱説明書」が存在しており、そのことを前提として正しく問題を捉え、(極論ですが)祭りに関わる方々が共通の問題認識を図り、共通価値(=「みなとの祭りとはなんなのか」)を創造していきましょうということです。

もちろん、全員が賛同することは難しいかもしれません。

ただし、その過程で祭りの在り方について一筋の光が見えてくるのではないでしょうか。

*自由意見



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