DOCTOR STORY 尾立Dr
この記事では、尾立朋子医師の医師としてのこれまでの歩み、リハビリテーションに対する想い、そしてこれからの展望をインタビューさせていただきました。
医師としての最初のキャリア
今回はドクターズヒストリー第二弾ということで尾立先生をインタビューさせていただきます。医師としてのどのようなキャリアをスタートしたのかお聞きしてもよろしいでしょうか?
尾立:私は生まれ育ちは千里中央で北摂地域にとても愛着があったので、まず第一に大阪の北摂エリアで働きたいという思いがありました。
また大学病院で研究や専門分野を極めていくというよりかは、総合診療という分野を学びたい思いもあったので、最初の研修先では総合病院を選択しました。当時は箕面市立病院、市立豊中病院、吹田市民病院、3つの病院を見学に行った結果、箕面市立病院を選ばさせていただきました。
なぜ箕面市立病院を選ばれたのでしょうか?
尾立:一番は当時副院長だった箕面市立病院の黒川英司先生(現阪神リハビリテーション病院院長)とお話させていただき、先生のお人柄に惹かれたことが大きなきっかけだったと思います。今まで沢山の医師と出会いましたが、私が医師として一番尊敬する医師が黒川先生です。
外科と救急内科を担当していた黒川先生は、とにかく医師の仕事が好き、オペが好きな先生で、深夜帯に搬送されてきた患者さんを嫌な顔せずに治療している姿は医師として本当に尊敬できました。何より患者さんファーストで行動することを教えていただいたのは、私の医師としての原点になっています。
当時の周りには優秀な若い医師も多くて気後れしていたところもあったのですが、そんな私に対してもいいところも見つけていただき、引っ張っていってくれたことは感謝しています。入職から沢山怒られもしましたが、本当に良くしていただきました。
また別の指導医の先生から受けたお話でとても印象に残っているのが、「病院のエレベーターに乗るときには、職種問わず必ず年上の方を優先しなさい。医師だからといって威張るような態度はとらないように」と教えていただいたことは、今になっても大事にしている価値観の一つです。医師として専門的なことも大事ですが、一人の人間として謙虚であることの大切さも学びました。ちなみに当時はリハビリには全く興味がなくて、2年間でのローテーションでは回りもしなかったです。(笑)その時は黒川先生のいる外科か、脳神経外科、産婦人科に関心がありました。
子育てと仕事との両立の日々
研修期間を終えた後は、どのようにしてその後の職場や専攻科を選択したのですか?
尾立:研修医を終えた後は箕面市立病院に残る選択肢もあったのですが、色んな病院を経験することも大事だと思ったので、次のステップとして新たな環境で働きたいという気持ちはありました。ただ、まだどの科を選べばいいのかを悩んでいたので、合同の病院就職の説明会に参加した先にご縁をいただいたのが、済生会千里病院の総合診療部でした。説明会場のブースでドクターカーの映像が流れていて、かっこいいなと見とれていたときに、当時の部長と副部長の先生にお声がけいただいたのがきっかけです。
当時は総合診療部も始まったばかりで、医師も少ない状況でしたので、私も沢山の患者さんたちを診察させていただきました。病院の窓口となる診療科だったので、様々な患者さんを診察していく必要がありましたし、その中でも救急の患者さんも診ないといけないケースも多かったです。そのような背景から、部長の先生から、どうせなら救命救急センターで勉強して、どんな疾患でも対応できるようしっかりと勉強した上で、また総合診療部に戻ってこいと言われて、入職して2年目からは救急救命センターへ配属されました。
当初思い描いてたキャリアとは異なるような印象を受けますが、当時はどのような心境だったのでしょうか?
尾立:当時はすごい嫌でした。(笑)
その時は子育ても大変な時期だったので、3日に1回当直がある環境は正直しんどかったですね。他の若い先生たちが残って仕事しているなか、子供のためにどうしても早く帰らないといけなかったですし、帰ってもいいよと言われても、申し訳ない気持ちが強かったですね。あとは救急のオペが入ったときに、ここからが大事な場面なのにと思いながらも、途中で抜けないと子供のお迎えに間に合わないみたいな場面もあって、歯痒い思いをしたことは何度かありました。
ただ救命センターでの日々はとても勉強になりました。環境が許すのであればこのまま続けたいなという思いもありましたけど、その反面自分には合ってないのかなという思いもありました。
具体的にいうとどういう点が合っていないと思いましたか?
尾立:救急で運ばれてきた患者さんを自分達の手で救って緊急を脱した後は、別の科に移ってしまうので、自分も主治医から外れてしまうところですかね。救急なので当たり前ですが、患者さんとお話する機会も少なかったですし、もう少し長い期間担当させてほしいという気持ちでした。総合診療部では、当時の部長から「患者さんの症状をしっかり聞いて、見て、触って」どんな病気かを推察していくことが大事だと教わっていましたし、そのように患者さんとじっくり関われるという意味では、私は総合診療部のほうが合っていたのかなと思います。
リハビリテーションとの出会い
その後千里リハビリテーション病院に移られていますが、研修医時代は全く興味のないと話されていたリハビリ分野に対して、当時はどのような心境だったですか?
尾立:色んなご縁をいただいて、千里リハビリテーション病院へ移らせていただいたのですが、救急救命といった花形のような現場から、リハビリ医といった当時はマイナーは現場に変わってしまったことで、一番最初はワクワクするような気持ちではなかったのを覚えています。
でもいざ仕事が始まると、セラピストを含めた今までにないようなチーム医療を経験できたことで、リハビリ医に対する印象がガラリと変わりました。患者さんがどんどん良くなって、今までできなかったことができるようになっていく姿を目の当たりにすることや、リハビリ医としてはチームをリードしていく立場に喜びを感じるようになりましたし、働き始めて1年経つ頃にはリハビリテーション病院での仕事が好きになっていました。
先程もお話されていた患者さんとしっかりと対話しながら診療していきたいという思いと、リハビリテーション病院での働き方がバッチリ合ったということですか?
尾立:合いましたね。リハビリテーション病院に入院される方は半年近く入院される方も多くて、その間毎日顔を合わせて関わっていくなかで、その方ご自身のことや社会的背景なども含めて深く知っていけることは、他の病院の勤務ではなかった経験でした。私はそれがリハビリテーション病院で働く仕事の醍醐味だと感じまいしたし、いつの間にかのめり込んでいきましたね。
リハビリテーション病院の勤務で、特に印象に残っている患者さんのエピソードはありますか?
尾立:千里リハビリテーション病院から香川県にある橋本病院に異動になったのですが、その時に担当したある患者さんは思い出深いです。
その方は交通外傷によって寝たきりで意識もなかった方でしたが、少しでも意識回復のためにできることはないかと、リハビリスタッフや看護師と相談しながら様々なことにトライしました。その方はドクターヘリの整備士をしていた方だったので、ヘリの会社の方に頼み込んで実際にヘリの離着陸の現場や出向いたり、大好きだった海に連れて行ったりと、チームで協力しながら外出支援を行いました。結局意識は回復しなかったのですが、最後まで諦めずに色々なことにチャレンジできたことは、当時のメンバーとまたあの時のような仕事がしたいねと語り合えるくらい、いい経験でした。
もう一人は千里リハビリテーション病院の患者さんです。当時は担当の理学療法士と一緒に平行棒内で歩くリハビリに取り組んでいたのですが、ある日突然「私は誰かに付き添ってもらって歩きたいんじゃない!這ってでも、どんな手段でも一人で移動できるようになりたいんだ!!」と激怒されました。私はそれまでその方を平行棒内で歩かせることに一生懸命で、患者さん主体のリハビリを行えていませんでした。その方を歩かせたいという自分本位のリハビリしかできておらず、患者さん本人の思いをちゃんと汲み取れてなかったことを気づかさせていただきました。当時はリハビリテーション病院に入職して半年くらいでしたので、それ以降は担当する患者さんには、必ずその人の希望を聞き取ること、また退院するときにその希望が達成されたのかも確認するようになりましたし、その時の経験は今にも活かされています。
これまで一緒に働いたセラピストの方から、尾立先生を慕われているお話を聞くことが多いのですが、当時セラピストの方とはどのような付き合い方をされてたのですか?
尾立:当時セラピストと年齢が近かったのもありますが、私はセラピストを信頼しているし、私自身も仕事仲間として信頼してもらえるように、関わり方には気をつけていました。あとはリハビリ室に直接リハビリの場面を見学に行くことも多かったです。私はそこで治療内容のことを質問して色々と教えてもらう時間がとても好きでしたし、患者さん自身も見学にいくと行くと喜んでくれる方が多くて、その喜んでくれている姿を見た担当セラピストさんもいい刺激になると考えていたので、そういった時間は意識して取るようにしていました。気がつけば冗談も言い合える仲になれたので、お互いに患者さんのことを意見交換しやすい関係性を作ることができたのかなと思っています。
チームで臨む訪問診療への想い
その後リハビリテーション病院から新たに訪問診療への現場へ変わったわけですが、もともと訪問診療にはどのような印象を持たれていましたか?
尾立:以前から訪問診療に対しては憧れがありました。そのきっかけはドラマのドクターコトー診療所です。ドラマの話ではあるのですが、その島の全員を顔を知ってて、地域に溶け込んでいるお医者さんの姿はとても惹かれました。いわゆる有名なスーパードクターではなくて、地元の誰もが知っているお医者さんの姿に憧れを持っていたのだと思います。
あとは訪問診療では様々な疾患の対応が求められるため、今までに働いた総合診療、救急、リハビリの現場で培った経験が活かせるのでは感じていました。
かすがいクリニックに来られてからの実際の訪問診療は、先生が思い描いていた理想の診療に近づいていますか?
尾立:そうですね。今はかすがいクリニック内だけではなくで、地域の訪問看護ステーションさんや、ケアマネジャーさん等と連携を取れる関係性が出来てきて、チームでの在宅医療が形になってきたと感じています。かすがいクリニックに来てからは、そういった地域でのチームの輪が増えてきたことは嬉しいですね。後は研修医時代にお世話になった箕面市立病院の先生から、私宛に患者さんの相談を受けることも嬉しく思います。そういう意味では、昔から思い入れのある箕面の地域に根付いて仕事ができて満足しています。
かすがいクリニックでの訪問リハビリテーションチームを、今後はどのようなチームにしていきたいですか?
尾立:今はリハビリチームのスタッフは理学療法士だけですけど、これからは作業療法士や言語聴覚士も含めて、チームで訪問リハビリに取り組む体制を作っていきたいですね。沢山の患者さんを診ていくというより、地域のリハビリの資源から漏れるような重度の方や、末期がんの方など、そういった方達をチームでしっかりと支えていけるようなチームを目指したいです。またリハビリテーション病院時代のように、実際に訪問リハビリの現場に見学に行き、意見交換や患者さんを励ましたりするような機会も増やしていきたいですね。
特に末期がんの方に訪問リハビリが入ることで、残された時間を少しでも有意義に過ごしていただけるようにお手伝いすることで、仮に状態が悪くなって死に向かっていくことに対しても、より良い形で向き合っていけるのではと考えています。そのように患者さんの大事な時間をいい形で支え、共有できるチームも目指していきたいですね。
最後の質問になりますが、医師としての今後の目標を教えてください。
尾立:本当にドクターコトーに憧れているので、いつかは離島で働く医師にもチャレンジしたいですね。(笑)
ただどこで働くにしても、100人の患者さんがいたら、100人に尾立先生が主治医で良かったと言ってもらえるようになるのが、私が目指したい医師像です。医師として有名になりたいとか、北摂で一番になりたいとかではなく、担当した患者さんにとって一番信頼してもらえる医師でありたいと思いますし、それに向かってかすがいクリニックでチャレンジし続けたいなと思います。