努力がくれた景色
どーも皆さんこんばんは。あらいぐまです。
noteも心もリセットして今日からまた書いていきたいと思います。
拙い文章ではありますが、誰かの心に響いたら幸いです。
今日のテーマは
努力の根本的な意義 についてです。
私は今年度人生で初めて受験に落ちる、という経験をしました。高校受験は柔道の推薦で入学したため、受験自体初めてだったんです。
私は今まで、ある程度の結果を残してきたと思います。あ、ある程度ですよ
ここ大切(笑)
勉強も、柔道も才能がなかったため、努力でカバーするしかなかった。だから努力にこだわって生活してきました。
今までが、ある程度努力で何とかなっていたんです。だから、私は努力したら必ず周囲に負けない。追いつける。そう思っていました。
受験も努力したらどうにかなるもんだ。そんな甘甘な話があるわけないじゃないですかね、、、
私は志望校にどうしても行きたくて、一生懸命勉強しました。誰よりも早めから動いて、面接練習も誰よりもしてきたつもりでした。
でも第一志望には届かなかった。
この受験を通して思ったことは、
「結局努力しても、できないものあるじゃん。」、「天才には努力で対抗なんてできない。」私は初めて努力が嫌いになりました。
努力する意味が分からなかった。
もちろん、両親や先生は褒めてくれました。「あらいぐまはよく頑張ったよ。あなたの行動力はすごかった。」っと。
でも、私はその「頑張った。」の言葉がすごくきつかったんです。
「~だから落ちるんだよ。」そう攻めてほしかった。期待を裏切ってしまった罪悪感と大きすぎる壁に出会い、5キロ近く体重が減ったことは秘密にしとにしときます(笑)
こんな気持ちをかえてくれたのはある1本の電話でした。
その相手は、受験の際に書類の添削や、面接指導をしてくださった大学のOG
の方でした。その方に、
「受験は失敗してしまったけど、この大学を受けると決めてくれたから、私はあなたに出会うことができた。ありがとう。」って言ってもらえたんです
私は受験に失敗しました。努力が足りなかった。それは紛れもない事実です
でも、努力してたから、応援してくださる方がいました。努力してたから、チャンスをくれて、多くの経験ができる機会を与えてもらえました。努力してたから出会うことができた人がいます。
結果が出ない努力は努力とは言えない。まさしくその通りだと私は思います
でも結果が出なかった=不必要な努力
この式は成り立ちません。
だから私は努力をやめない。もう一度挑戦することを決めました。努力することで得られたものはすごく大きかった。努力したから、見ることができた素晴らしい景色がありました。
次は、真の努力で合格というもっともっと美しい景色を見てみたい。
これからの努力で出会う、新しいたくさんの経験を大切にしながら
私らしく頑張ってみようと思います。
努力から得られるものって素晴らしい。そう思える受験に変えることができました。