Vtuberの割り込みリプ問題と謎マナーと閉鎖する空間 -Vtuberと視聴者を分けるものから見えたもの-
バーチャルYouTuberとは何かというとっくに旬は過ぎてしまっている話題について考えるためにまず、視聴者とそれ以外の違いについて考えていました。
そうしたら、ちょっと前のVtuber界隈でのごたごたに対する自分なりにすっきりする答えが旬を過ぎてから出てきてしまったので記事にしてみました。
まず、Vtuberとは何かを考えるにあたり、視聴側と配信側とはどのような違いがあるのかについてです。
バーチャルYouYuberでもYouTuberでも、バーチャルライバーでも生配信者でも少なくとも共通しているものがあるとすれば、それは不特定多数に対して何かを見せたり、聞かせたりする存在という点ではないでしょうか。
もしも、特定の誰かに話したいことがあるのならばそれをYouTubeにあげたり配信したり、Twitterで発信したりする必要はありません。直接お話すれば済む話です。まれに特定YouTuberへの物申しなどがあるとしてもそれはその人にモノをいうとともに不特定多数のオーディエンスにも伝えようとしているのです。
ここまで考えてふと、この差異を理解することはVtuber界におけるごたごたを解明する端緒になるのではないかと考えました。
割り込みリプは仕方のないもの
まずはこのTweetから
詳細はリンクを見ていただければとは思うのですが、これって結局この「不特定多数への発信」ってことでかたが付く気がしました。
Twitterが私的な会話であれば公共空間で友人と話しているときに知らない人が話しかけてきたら…というたとえ話もうなずけるでしょう。
しかしながら、Twitterでの会話は不特定多数に向けての発言なのです。返信といえどそれはだれからも見えるもので、それは私的な会話とは言えないでしょう。特定にの人に向けての会話であればそれ用の手段もあるはずです。直接DMしてもよいでしょう。なぜそうしないのか、それはそのやり取りさえも不特定多数へ見せるためのものだからです。
不特定多数への発信であれば、その人を良く知らない人からもコメントもらうこともある、そして割り込みリプもありうるのではないでしょうか。
そしてそのような状況ではコメントをする人も常にVtuberからのお願いを把握することはできないし、把握していてもそれに従うかどうかは個人の自由ではないでしょうか。
SNSはダイレクトメッセージを除けば不特定多数に意見、創作物などを発信しています。そのためどんな人が見ているのかがわからないものです。ただし残念なことにそれを意識していないまたは不十分な人がそれなりの数います。
割り込みリプ禁止の強要の是非
そしてもう一つ気になることは、もちろんお願いを聞いてあげるほうが良いのは確かですが、それを気付かない人や無視する人に対して第三者が「なんでお願いが聞けないなんだよ」とキレる正当性はどこにあるのでしょうか。あくまでもお願いに過ぎないのですよね。それを聞いてあげるやさしさ自体は称賛されるべきものでしょうが、聞くことを強要することはいかがなものでしょうか。
ゆえに上記のような基本的な観点「不特定多数への発信である」が抜け落ちどこに落ち着くでもない不毛な議論が続くのでしょう。
しかしながらVtuber自身がVtuber同士のやり取りという「作品」の完成度が下がるために、割り込みリプを敬遠したいと考えるのならば理解はできます。ただそれをやめるように呼び掛けることは、だれが見るのかわからない以上不毛である面も承知すべきでしょう。
謎マナーの不毛さとその弊害
そしてそれがさらにそれが進んでいった先にあるものが謎マナーの横行ではないでしょうか。謎マナーとは前述のようなVtuber本人のお願いやファンの好みそうな行為をルールとして守らせようとするものを指します。
しかしこのマナー自体を守らせることが上述のように困難ですし、そんなもの守るかどうかは自由でしょう。
この謎マナーを押し付けようとする人たちは、Vtuberの配信をクローズな空間での内輪の話と思い込みそのような発言をしたりするのではないでしょうか。
配信やTwitterなどでのマナーなど、多くの人が最大公約数として守れるものは社会的な常識とネット空間でのマナー、各サービスでの規約ぐらいが限界でしょう。
割り込みリプにせよ謎マナーにせよ、なぜ特定Vtuberの配信などでローカルルールの押し付けができるのかと言えば、それはこの「不特定多数への発信」の観点が欠けているからだと思います。
誰が見るのかわからないと想像できれば、配信に来るのはコアなファンもいれば一見さんもいて、一見さんたちに謎マナーを守れと言うことが以下に不毛か考えが及ぶはずです。
と言いながら「守れ」という人が多数出てきそうな気がしてなりません。
謎マナーの行きつく先は閉鎖空間
なぜなら、そのようなマナーを唱える人はVtuberの配信などが自分たちの「聖域」であるという幻想があるのだと思います。そしてその意識はクローズな場を生み出し閉鎖していきます。クローズな場とは自分たちと同じルールを共有できる者たちだけをメンバーとして、それ以外を排除する空間です。
多くの人に見てもらいたいと思うVtuberであればそれは好ましいものとは思えないはずです。謎マナーを容認し、あまつさえそれを守ることを自分から要求するものがいるのであればそれは、コアなファンだけで固めたいと考えているということでしょう。
つまりはそのVtuberは一見さんお断りの方ということです。そのような方針であれば外野はそっとしておくしかありません。
ただし、それが先鋭化した未来にはコアなファンだけがはびこるクローズな場が待っています。皆がマナーをわきまえ、ローカルルールを遵守する、均一化された異論を許さない分かり合えるものだけの「ユートピア」です。そこに「王」として君臨することはさぞや気持ちのいいことでしょう。
そんな空間、私は願い下げですが。
いろんな人がいろんな意見を言い合うほうが楽しくないですか?少なくとも私はそう思います。まあそれは好みの問題ともいえますが。
でも、それをVtuberという全体に拡大していくのは反対です。是非、「Vtuberのマナー」などを作り上げるのはご遠慮いただきたいと思ったところで今回は筆をおきたいと思います。
終わりに
このVtuberと視聴者は1対多である、という考えは拡張するといろいろ考えるきっかけになるのですがそれはまたの機会に。
そもそもこの問題をいちいちとやかく言うのが不毛だなと思うのですが、いかんせん「いっちょかみ」したくなる性分でして。
そして、そもそもの「Vtuberとは」を考えることが進んでいないのが非常に気がかりですが、それもまたの機会に。
バーチャルYouTuberを嗜んでいます。 普段は動画を作っていますがこぼれ話を少々いたしたく