レオナポーズ3

キズナアイは「未来の魔法使い」になるために走り続けるフロントランナーである。

こんばんは、水無瀬レオナだよ。今日のはポエム。

キズナアイは開拓者である。これに異論はないでしょう。そして彼女は今もって先頭を走り続けるフロントランナーであると。

少し前の話題ですが、キズナアイちゃんは現在こんなことになっています。

これがあまり評判も芳しくないようで。それはまあ当然、人によってVtuberというものに求めるものは異なりますから、それとは違うものへの拒否反応があるということだと思います。

「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」

悲しいことにフロントランナーが意図するところは深遠にして理解が及ぶものではないのです。開拓者、フロントランナーとは何もない荒れ地、需要のない市場に果敢に立ち向かう人です。

開拓者本人は当然勝算があってのことと思いますが、外野から見れば「なぜあんな荒れ地に種をまくのか?今の耕地に種をまけばいいのに。狂人か?」と思われるものです。

今回の件でいろいろと意見はあるようですが、私はこれは一つのアンチテーゼであると理解しました。

それは

「一つの肉体には一つの魂しか存在しえない。」

というもの。

これに対する

「一つの肉体に複数の魂は存在し得るのか?そしてそれを人は許容できるのか?」

こそが今回試してみたいことなのではないでしょうか?

多重人格者みたいですね。ほとんどの人は人格は一つです。しかし、AIには果たして人格は1つであるべきなのか?

ここでは、「複数の人格」を前向きな意味で捉えようとしているのだと思います。私はこの試みについていいとか悪いとか特には思いません。でもきっと新しい未来につながると期待をしています。

Vtuberが向かう先

私はVtuberの本来の強みとは、「想像しうることはなんだって実行しうること」だと思います。

「人が空想できること全ては起こり得る魔法事象」Byキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ

これに通ずるものがありますね。Vtuberは魔法使いなのです!!(わからない人は気にしない!!)Vtuberは空だって飛べるし、瞬間移動だってできる。もちろん、厳密な意味とは違いますが。

Vtuberとは「創作上の人々」と「実際の人間」の間くらいの人間なのかなと思います。

数多の創作者たちが、小説で、絵画で、映画で、空想力の世界の中で主人公たちに「奇跡」を起こしてきたことと同様にVtuberは「奇跡」を起こしうる力を持っています。

しかし、残念ながらYouTuberと「創作上の人物」の融合は誰も見たことのない世界なのです。

それは、視聴者はもちろんVtuber本人ですら今後のことは何もわからない状態であることも意味します。創作者もまたこの力の使い方を理解しているわけではないようです。

ですから今、Vtuberが「ガワを被った生主」と言われていることは一定仕方のないことだと私は思います。

私の活動も今のリアルなYouTuberとの差異を見つけ出すことはとても難しいでしょう。

しかし、「私は何者か?何ができるのか?」を問い続けることでしか新しい可能性は見いだせないのだと思います。そして、それが実行できても受け入れられるのかはまた別の問題なのです。

私たちVtuberが既存のYoutuber、生主と違う存在として生き残るか否かそれは、現代の「魔術師」としての生き方を見出し、それが社会に受け入れられるかということだと思います。

もちろん、「がわを被った…」として生き続けることも大いにありだと思います。外見がアニメ的でリアルYouTuberと同じことをするっていうのも需要はあります。扱う話題によってはその方がいいものだってあります。
ただその場合には、リアルYoutuberよりも出来ることは少ない、ということを受け入れていくしかないと思うので不自由度は高いかなと。

私は、Vtuberの行く末とは別に「バーチャルYoutuber」には自由であってほしいという思いがあります。

キズナアイちゃんの新たなる試みは、「魔法」に至るための一つの方法なのではないかと私は期待しています。私たちのまだ見ぬ世界へただただ突き進む彼女の背中に希望を見たいなと思います。

それはそれとして、水無瀬レオナも4人欲しい。完全に手が回らない状態ですから。それか、固有結界内での時間経過を操れる系の魔術。まだ魔法には手が届かないですし。すごいスピードで作業したい。

【急募】魔術の使える方

それではまた次の記事でお会いしましょう。さようなら。

バーチャルYouTuberを嗜んでいます。 普段は動画を作っていますがこぼれ話を少々いたしたく