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「Vtuberはアニメなの?」からはじまるゲーム部声優交代騒動から見えた魂と声優のはなし
こんばんは、水無瀬レオナだよ。動画を出さなくてもVtuber。私が証明です!
さて今日は魂と声と人格について。
前回のnoteで複数の魂が一つの器に収まりうるかについて私は肯定的な見方をしました。
しかし魂の複数化は基本的には受け入れ難いものです。それが垣間見えたのがゲーム部の声優交代騒動です。
Vtuberの声優交代は荒れる
詳細はリンクから見てもらえればと思いますが、声優と運営の間がうまく行かなかったようで、一度は収まりかけたのですが、秘密裏に声優が変わっていたという事件です。
この件は運営のパワハラがあったのか、秘密裏の交代は良いのかといった問題点があったのですが、今回の事件の一番の原因というか、根底にある問題は「ゲーム部はアニメだ」と運営は考えている(と思われる)点です。
それは、アニメであれば声優交代はありえますし、声優はあくまで一スタッフだとされることは理解ができます。
しかし私達はゲーム部をVtuberとして応援していたはず。
これを受けて私はこんなツイートをしました。
Vtuberってアニメなの?
— 水無瀬レオナ@アンチテーゼYouTuber (@minaseleona) July 8, 2019
するといろいろな意見が寄せられました。
すべての意見がとても貴重でとても刺激になったので私の意見も述べたいなと。
アニメじゃない!Vtuberのことさ
アニメの声優交代も荒れることはありますがそれとは別の種類の反発があったと思います。
それはVtuberの声優交代は【声】が変わるのではなく、【魂】が変わると視聴者が捉えているからです。
なぜ魂は変わってはいけないのか、それは「一つの器には一つの魂」と考えているからだと私は思います。
声優の交代により、以前の魂とは別の魂が器には入り込むことはこの「一つの器には一つの魂」という考えと反してしまうのです。複数の魂に対する反発です。
魂が複数あるというのは声が複数つくというのではなく、人格が複数あるということなのです。人格は性格とか思考スタイルとか言い換えられるかもしれません。
アニメにおいては、声と人格は別です。
アニメ、劇というものは作品が主体であり、そこにはストーリーがあります。登場人物には性格はありますが「自律的」な意志はありません。性格は脚本やキャラクター造形で他者から与えられたものです。
であれば、交代で魂が変わることはありません。
しかしVtuberは自分で自主的にいろんなことを考えて、表現する事ができます。
アニメのキャラクターでは出来ない事
もしゲーム部がアニメだとすれば、4人は登場人物ということになります。
登場人物の人格は自発的にでてくるものではありません。
私達が彼らに期待していたものは、定められたストーリーに従って動く登場人物だったのでしょうか?
劇的な起承転結がない点ではVtuberはまた日常系アニメに近いものがあるのかもしれません。
それでも私達がVtuberに期待したものは、それぞれが考え、悩み、笑い、喜ぶ、そんな主体的に行動する人達が交流する中で生まれてくる「ドラマ」なのではないのかな、と思っています。
まだまだ言い足りないことはありますが今日はここまでで。この続きも書きたいなとは思っています。
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