スピや占いや霊能力についての水瀬的見解
皆様いかがお過ごしでしょうか。
水瀬はお鍋が美味しい季節になってきたのでここ数日はよく作って食べているのですがうっかり気温の上がった日に作ってしまって汗だくになるなどしています。
最近のブームは蒸籠で色んな食材を蒸すことです。
肉まんとかふっかふかに蒸し上がりますし何を蒸しても美味しく簡単に作れてしまうので仕事で疲れている時にも便利なんですよね。
今日はここ最近感じていることをアウトプットしていこうと思います。
いつものことではありますがスピ話多めですので苦手な方は回れ右してくださいね。
あと今回は誰かを傷つけたり攻撃する意図はありませんが人によっては手厳しいと感じる言い回しがあるかもしれません。
あなたを傷つけたり攻撃するために書いている訳では無いので無理に受け止めなくて大丈夫です。
見なかったことにして忘れましょう。
あくまでも水瀬が思ったことなので、あなたはあなたの感覚を大事にしてくださいね。
それでは本題に入ります。
最近水瀬がよく思うのがスピ界隈で「自分だけは本物です」という自称“本物”の人の多さです。
まぁ皆自分が偽物ですとは言わないので当然と言えば当然なのですが…。
「本物」って一体何かなと思うのですよね。
いわゆる霊能力がないのに嘘をついて詐欺まがいのことをしている人達とかと自分は違いますよ〜という意味なんでしょうか。
それとも自分は真に霊能力を身につけているけれど他の人は違いますよという意味なんでしょうか。
どちらの意味なのかで大分捉え方が変わるなと思うのですが「本物です」という言葉で曖昧にされているなと思うのです。お茶を濁されている感じ。
もし後者の自分は能力があるけれど他の人は違うよという意味なのだとしたら、とても高慢なことを仰っているなと思います。
敢えて強い言葉で表現しますが、他者を扱き下ろして自分を上げるために「本物」という言葉を使っているなと思うのです。
言うなれば自分以外の人は全部偽物で嘘つきですと言っているも同然ですよね。
果たしてその方に他者の能力の有無を正確にジャッジする能力があるのでしょうか。ちょっと疑問です。
そもそも論になりますが、第六感とか霊感とかスピリチュアルな方面の能力を持っている=特別であるという前提で皆さん話されているのが何だか腑に落ちないんですよね。
持っているけれど能力が覚醒していない人もいるでしょうし、そういう能力が必要ない人生を送ると決めてきた人もいるでしょう。
勘や直感と言われる第六感的なものは活かせているかは人それぞれにはなりますが皆さんお持ちですよね。
加えて、見えない存在と繋がってその言葉を伝える=権威性があるという図式になってしまっているのが余計にしっくりこないというか。
神様や仏様、天使様や御先祖様…なんでもいいのですがそういう存在を敬う心を利用して、その言葉を伝えるだけの言わば通訳のような存在のメッセンジャーまでもが凄い存在(権威を持っている)と捉えられがちなことに違和感があるのです。
凄いのだとすればその神様とかじゃないですか。
翻訳してるだけの人は別にすごくないんじゃない?と水瀬は思ってしまいます。
(そもそも神様達は自分を崇めよ!みたいな感じではないですが…)
私は高次元の言葉を伝えられるから凄い!になるのはおかしいと思うんですよね。
それってもう「高次元とやりとりできる自分」(大多数の人とは違う自分)に酔っていると思うんです。
言うなれば他者よりも自分は秀でていると思いたいんだなというのが滲み出ているな…と。
私達は生まれてからずっと他者と比べられる生活を送っているので無意識にそういう見方(他者と比較して秀でていなければならない)になってしまうのは仕方がないかもしれません。
けれど本当に他者と比べなくては自分の価値を見いだせないのでしょうか。
他者と自分を比べて優劣をつけることでしか自分を認めてあげられないのでしょうか。
それってとても寂しいことだとは思いませんか。
別に他者と比べなくてもあなたはあなたのままで素晴らしいのに、他者を貶すことでしか自分の素晴らしさを認められないのだとしたらまずそんな自分に気づいてあげることが必要だと思うのです。
そして自分も他者もそれぞれ素晴らしいのだと、比較する必要はどこにもないのだと理解して欲しいなと思います。
私も凄いけれどあなたも凄い。
あなたは素晴らしいけれど私も素晴らしい。
そんな捉え方をしてみてはどうかなと水瀬は思うのです。
スピ能力に限った話ではなく何事においてもそうだと思います。
比べて優劣をつけて自分を追い込む、他者を見下す…そんな生き方苦しいじゃないですか。
みんな違ってみんないい。
見方が違ったっていい。意見が違ったっていい。私とあなたの考えが違ってもそれでいい。
私はこう思うけれどあなたはそう思うんだね。
でも自分はこう思うからこうするよ、あなたもあなたの好きなようにしてね。
こういうマインドのほうがずっと過ごしやすいなと水瀬は思うんです。
所謂、自分軸というものですね。
水瀬と見えない存在や見えない世界についての考え方が違う方は沢山いらっしゃると思います。
私はそれでいいと思うんです。
何故なら別の人間だから。
私達は視点が違う事を楽しむために別々の個体として生まれてきているんです。
わざわざそれを体験するために生まれてきているのに無理やり誰かに同調する必要は無いと思っています。
もちろん同じように感じる方はそれでいいんです。
それがあなたの視点なので。
水瀬が言いたいのは、あなたの視点からズレた捉え方をしている誰かの言葉を聞いて無理やりあなたの視点を誰かのものと合わせなくても良いということ。
そして自分の視点を唯一無二の正しいものとして他の人にも強要する人には気をつけて欲しいなと思います。
それは自分の中だけの真実であって皆の真実ではないのです。
他者がどう捉えるのかはその人次第。
もちろん水瀬も含め自分自身がそうならないように俯瞰してみる事も大事なことでしょう。
無理やり視点を合わせてしまうとそれは他人軸になってしまってとても過ごしづらいでしょうし、窮屈な生き方になってしまいます。
何よりあなた自身の生き方とは言えなくなってしまいますよね。
なので「自分」はどう捉えるか。どう感じるか。どうしたいか。そこを大事にしてほしいなと思います。
とはいえ、スピをエンタメとして楽しみたい側からすると所謂本物に出会いたいとか、当たる当たらないとか、正しい正しくないとかそういう方向に目が行きがちだよなとは思いますので(昔の私がそうでした)これを腑に落とすのって難しいですよね。
スピってもっとファンタジックな何かだと思っていた時期の私なら多分この記事を読んでもふーんそうなんだ…で終わりそう。
もっと不思議な力とかの話が読みたい〜って思いそう…。
案外スピって地に足ついたまともなことが真髄だったりするんですが如何せんそういうのって地味ですもんね。
もっと凄い何かだと思いたい人がいるのも仕方がない事なのかなと思います。
ですが、少しでもこれを読んでくださった方が何かを考えるキッカケになれば嬉しいです。
ここまで読んでくださった皆様、お疲れ様でした。
お読みいただきありがとうございます。
そしてスキやコメントをくださる皆様。
いつも本当にありがとうございます。
お陰様で水瀬は活動できています。
皆様が今日も幸せでありますように。また次の記事でお会いしましょう。