スピリチュアル界隈に思うこと
皆様いかがお過ごしでしょうか。
水瀬は急に冷え込んで喉をやられてしまいました。
もっと暖かくして寝なくてはいけませんね。
今日は最近考えたことや気づいたことなどお話していこうと思います。
水瀬はここ1ヶ月くらいもやっとしたことがあるとそこを徹底的に掘り下げるようにしています。
自分の心の声を流さず、拾い上げて磨いてみようという試みです。
その過程で感じたことなのですが
「スピ界隈」ってやたらと私が!自分が!特別なんです!!という主張をしている人が散見されます。
「スピ能力があるから」自分は特別。
「見えない存在が見えるから」私は特別。
「高次元の存在に愛されているから」自分は特別。
「使命を果たすために選ばれた存在だから」私は特別。
挙げればキリがないほどこういう類の方をお見かけします。
水瀬は別に思う分には自由だと思いますし、発信されている方にとっては本当の事だろうなとは思います。(意図的に嘘をついているようなパターンはまた話が別ですが…)
ですが、それを「主張」する意図は何かと考えた時に水瀬はどうしても引っ掛かりを覚えるのです。
「私は特別」である理由って本当に必要なんでしょうか。
その理由が「スピリチュアルなもの」である理由や必要性は?
そしてそれを「他人」に発信して「主張」する理由は?
これを私なりに考えてみたのですが、「自分を特別」だと思いたいというのは自己愛の一種でスピ界隈に限らず見られる願望だと思います。
これ自体は悪いことではなく、優劣をつけられ比較されてきた人はどうしても「他人よりも秀でている」自分でなくてはと考えてしまいますし、多かれ少なかれ皆が持っている感覚ではないでしょうか。
日本人って希少価値が高いものに惹かれやすいと聞いた事がありますしそれも影響していそうです。
ですが「自分は特別」=「他人は自分より劣っている」という意識がそこに存在していると厄介です。
自覚があるならまだよくて自覚なしにナチュラルに人を見下している様子が見られる方もいらっしゃいます。
そもそも「自分は特別」だけれど「他人も特別」だという意識がなければ、他人と優劣をつけて自分の価値を高めるために「私は特別」だと言っているも同然ですよね。
けれど「私は特別」と主張している方のほとんどが後者であろうと思われる言動をされていて何だか複雑な気持ちになりやすいです。
そして理由がスピリチュアルなものになりがちなのは「誰にも証明できない事柄」だからではないかと感じました。
本当であるという証明も出来ない代わりに、嘘であるという証明も出来ません。
占いや鑑定をする側ですら意見が食い違うことがあるのがスピリチュアル界隈。
実際に何かしらの能力を実際に持たれている方もいるでしょうし、見えない存在を見る人もいるでしょう。
実際に水瀬は自覚しているスピ能力がありますしチャネリングしたりリーディングもやります。
使命をお持ちの方や高次元から愛されている方もいると思います(水瀬はこの2つについては皆さんが当てはまると思っています)
水瀬の視点から見たらあるものですがこれらを明確に証明する術は今のところありません。
ただ証明できない=存在しないではないと思います。
なぜなら存在しないことを誰も証明できないので。
いわゆる「悪魔の証明」というやつです。
そして日本人は無意識に生活の中に信仰が根付いているので(ものを粗末にしないとか、神社仏閣で失礼なことをしてはいけないとか…)そもそもそういうスピ系を信じやすい土台が出来ています。
なので「自分にはスピな能力が…」と話してもわりかしすんなり受け入れてしまえる人が多いというのも「スピリチュアルな能力持ちが特別になる理由」になりえるのかなと。
あと神職やお坊さんをありがたい存在として拝む心みたいなものも関係がありそうです。
そして一番肝かと思われる「他人に主張する理由」ですが、これは何パターンかあるような気がします。
1つ目はスピ系お商売をされている方。
これは「集客のため」だったり「権威づけ」のためだったり、もっと踏み込めば同業者との「差別化」のためでしょう。
何故ならそのほうが売れるから。
霊感とかないんですけどきちんと学んだタロットで占います!と言うよりも、霊感☆霊視☆ スピ系不思議パワーであなたのことを占います!と言われた方が何となく凄そうと思う人が多いんですよね。
ちなみにこれはあくまでも例ですので別に霊感や霊視を使って占われる方を馬鹿にしている訳ではないことはご理解くださいね…。
とかく「占い」や「鑑定」に興味をお持ちのお客様の多くは「占いや鑑定の知識」よりも「スピ系不思議パワー」で占われる方が当たるかもと考えやすいのです。
これはココナラをやっていたときにもとても感じていました。
ただ本当にその「スピ系不思議パワー」を持った人だけがそう名乗っているのかはきちんと考えた方が良いです。
出来る限り多数の方向性から考慮し依頼に価する人物かどうか鑑みてほしいなと思います。
あまり言いたくはないですがあからさまに詐欺っぽいものも見かけますので…。
これについては本物が誰かなんて分かりませんし証明しようもないので依頼者様ご本人がお願いしたいと感じた方を選ぶのが一番です。
2つ目の理由として考えられるのは「承認欲求を満たしたいから」です。
これ結構多いのではないかなぁと個人的には感じます。
承認欲求自体は人間誰しも持ち合わせているものですし一概に悪いものだとは思いません。
誰だって頑張ったら認めてもらいたいものですよね。
ただ「承認欲求」を満たすために「他人に評価を求めすぎる」のは毒だと思います。
例えとしてわかりやすいのはSNSの閲覧数(インプレッション数)やいいねなどの評価数を多く獲得しようと必死になるパターンなどでしょうか。
この価値基準に取り憑かれてしまっている方もたまにお見かけしますが、他人の評価ってそんなに大切ですか?
自分で自分のことを認める、褒めるだけでは足りないのでしょうか?
もしそうなのだとしたらそれはとても由々しき事態だと思います。
悪いことは言わないので一旦そのSNSなりコミュニティから距離を置いてみてください。
日を置くにつれ、せまーい世界の中だけの評価に依存して自分の価値を見誤っていたことが少しづつわかるのではないでしょうか。
無意識に「他人」の評価に依存していませんか?
自分で自分を認めてあげずに人からの評価にばかり目が向いていませんか?
そして心の奥底に「自分はこんなに頑張っているのに認めてもらえない!」という気持ちが眠っていませんか?
自分で自分を満たせていない時、人は他人からその穴を埋めてもらいたがります。
承認欲求に取り憑かれてしまっている方は今一度ご自身の心と向き合われてみると心がスッキリするかもしれません。
そして自分が自分を認めてあげられるようになればいたずらに他人からの評価を求めなくなります。
何かを欲しい欲しいと思っている時は原因になる何かが足りていないのです。
よく内観が大事と言われますが、それは心の声と向き合って足りないものに気づいてあげる作業が必要だという意味もあるのではないでしょうか。
脱線してしまいましたが「私は特別!」「自分は選ばれた存在!」のような思考になっている方は、上にあげた理由が複雑に絡み合っている方が多いのではないかなと考察しています。
そして水瀬がそういう言動をされている方に引っ掛かりを覚えたりもやもやを感じる原因は
「私は特別=他人は劣っている」という考えを自覚の有無は問わず持たれていて「承認欲求を満たすために他人に評価を強要する」人が少なからずいるからだろうと感じました。
皆が皆そうではないかもしれません。
けれどそう捉えられても仕方の無い表現や言動をされる方もいらっしゃいます。
そういう方に遭遇した時に「水瀬はそういうの苦手だな」と感じてしまうのです。
みんな違ってみんないい。
誰かが特別ではなく皆が特別な存在。
能力の有無は人の優劣に関係ない。
私はこういう考えを持っているので、そことぶつかってしまい引っかかってしまうのでしょう。
加えて水瀬がもやもやを感じる考え方は「生身の人間を教祖として崇める」ことに繋がる危険性があると感じています。
強い言葉で表現していますがどんなにマイルドにやっていても本質はこれかと思うので敢えてこの言葉を選んで書いています。
「誰か」を「盲目的に」信じてのめり込んでしまうのはあまりにも無防備で危険な事だと思うのです。
自分で考えることをやめ「すごい人」の言いなりになってしまってはそれはもうその「誰か」の操り人形ですよね。
過去に凄惨な事件を起こした団体がありましたが、個人的にはあれは信者の方が少しでも自分の意思で考えていれば起こりようもなかった事件だと思うのです。
そして水瀬は「生身の人間を教祖として崇める」行為はこれに繋がりかねないと危惧しています。
水瀬の杞憂でしょうか?
けれどあの団体が出来た時も多くの人がこれを杞憂だと思っていたから起きてしまったことなのではありませんか?
歴史を学ぶのは同じ過ちを繰り返さないためだと聞いた事があります。
ならば歴史に習い同じような事件を防ぐためにも芽になりそうな行為を危惧することは必要だと私は思うのです。
なのでどうしても「スピ系で私は特別と主張される方」がちょっと苦手だなと感じます。
少なくとも自分はそうならないようにしたいなと。
あくまでも全て水瀬の持論ですので読んだ方がどうお考えになるかは自由です。
水瀬の意見を鵜呑みにせずどうかご自身でよく考えてみてください。
それが一番大切なことだと私は思います。
長くなりましたがここまでお読みいただきありがとうございました。
この記事が何かを考えるきっかけになれば幸いです。
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いつも本当にありがとうございます。
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今日もあなたが幸せでありますように。
また次の記事でお会いしましょう。