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【物語・声劇台本】上鳴島の教会
登場人物・4人
エリザ:島の教会のシスター。
ミカ:島の住人。アランの妻。
アラン:島の住人。ミカの夫
リオ:島の住人。
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リオ
ここは静かな海に囲まれた小さな島。風が吹けば潮の匂いが鼻を刺し、夜になれば波の音が心を満たす。人々は皆、島の外を知らない。外を知らないからこそ、ここで生きていける。
数週間前、この島で唯一の教会の神父様が亡くなった。理由は分からない。ただ、彼はかなり高齢だった。
それからずっと、教会にはシスター・エリザが1人で、蝋燭の光が弱々しく揺れている中で、静かに祈りを捧げている。彼女は美しく、静かで、そして……どこか冷たい。彼女が祈りを捧げる姿を見るたび、胸の奥が痛くなる。
神父様はこの島の「救い」そのものだった。誰もが彼を信じ、敬い、彼の言葉に従った。でも今、その心臓は止まってしまった。そして、シスター・エリザが残された。
俺たちは皆、それぞれに罪を抱えている。けれど、それを認める者はいない。ただ祈るふりをして、赦しを乞う。だけど、神父様はもういない。
祈りは……教会の鐘の音は、神に届くのか。俺たちは赦されるのか。そして——彼女は何を想っているのか……
場面転換
(ある日の夕方、教会の前。夕焼けが2人を照らしている。風が冷たく吹き抜ける中、リオとミカが静かに立っている。)
リオ:ここの風はいつも冷たいな……。それに、この島は不気味なくらいに静かすぎる。
ミカ:神父様がいなくなってから、ずっとこんな感じよ。教会の鐘も、祈りの声も、どこか虚ろに感じる。
リオ:エリザさん……1人で、よくやってるよな。
ミカ:彼女はとても強い人よ。でも、強さっていつか壊れるものよ。私たちにも……何かできるといいんだけれど……
リオ:……人の懺悔を聞いて、それに許しを与えるなんて……俺には無理だよ。荷が重い。
ミカ:そんなこと言ったら、あたしだって無理よ。
リオ:それを神父様抜きでやってるんだものな……
ミカ:ねえ、リオ……。私たちの罪って……本当に赦されると思う?
リオ(モノローグ):ミカは俺に近づいてきて、まっすぐ目を見つめて聞いてくる。
リオ:……分からない。それこそ、エリザに聞いてみないと。
ミカ:……あなたは、エリザのことが好きなの?
リオ:……シスターとしてって意味なら。
ミカ:いいのよ。隠さなくても。でもね、彼女は私たちとは違う場所にいる人。触れてはいけないし、決して「触れること」すらできない。
リオ:そんなのは分かってる。でも、それでも彼女には……どこかに引き寄せられるような気がするんだ。
リオ(モノローグ):ミカは少し寂し気に笑う。
ミカ:ニンゲンってみんな、自分にないものを求めるのかもしれないわね。私も……同じよ。
リオ:ミカ……。
ミカ:この島は狭すぎわる。誰もが誰かを見て、誰かを羨んで、そして誰かを憎んでいる。
リオ:それでも俺たちはここで生きていくしかない。
ミカ:ええ……たとえ神様に、声が届かなくてもね……
夜の闇が二人を包み込む。教会の鐘が鳴る音が聞こえてくる……
場面転換
(教会の中で)
ミカ:……ここのステンドグラスは、本当にキレイね……
エリザ:えぇ。光が差し込むと……何とも言えない気持ちになります。
ミカ:ごめんなさい……お祈りの邪魔だったかしら?
エリザ:とんでもないです。あなたに会えてうれしいです、ミカ。
ミカ:あたしもよ……
エリザ:それで……今日は何かあったのですか?
ミカ:……私はあなたが心配よ。神父様が亡くなってから、ずっとあなたは1人でここを守って……本当に辛そうで……。
エリザ:ありがとうございます……ですが……私に心配はいりませんよ。
エリザ:いまや、それが私の仕事ですから……。
ミカ:エリザ……実は少し、お時間をいただきたいのです……。
ミカ:エリザは穏やかな微笑みを浮かべ、私をじっとみつめてくる。
エリザ:もちろんです、ミカ。どうしました?
ミカ:私は……シスター、私は罪を犯しました。
ミカ(モノローグ):私は何も言わず、ただ静かにエリザを見つめる。
ミカ:私は……夫以外の男性と関係を持っていました……。罪だと分かっていても、止められなかったんです……。
エリザ:……ミカはなぜ……その男性と関係を持ってしまったのですか?
ミカ:……私の夫のアランは、何もしてくれない。昔と違って、私を見てくれないんです……。
エリザ(モノローグ):雫のような涙が、ミカの頬を伝う。
ミカ:でも、私は……私は悪くない。そう思いたいんです。彼が私に優しくしてくれたから、私を必要としてくれたから……。
エリザ(モノローグ):「自分は誰かにとっての『必要な存在』になれた」誰かを癒すことができたのだから、それでいい……と言いたいのだろうか。
エリザ:ミカ、それは罪なのでしょうか。それとも、人としての弱さなのでしょうか……
ミカ:弱さ……?
エリザ:ニンゲンはとても弱い生き物です。愛を求め、温もりを求める。その心は時に罪と呼ばれる形を取ることもあります。ですが……それを赦すのは神ではなく、自分自身なのかもしれません。
エリザ(モノローグ):ミカは涙を拭いながら、少しだけ微笑む。
ミカ:エリザ……ありがとうございます。でも、私にはまだ分かりません。私は、私が犯したこの罪に対して、どう向き合えばいいのか……。
エリザ:……それを考え続けること。それがきっと、あなたにとっての贖罪なのではないでしょうか……
ミカは深く頭を下げ、静かに教会を後にする。
ステンドグラスから差し込む光が、エリザの表情を淡く照らしている。
場面転換
(夜の教会。蝋燭の灯りだけが薄暗い室内を照らしている。
リオが教会の入り口で立ち尽くし、奥で祈りを捧げるエリザを静かに見つめている。)
リオ:……シスター、まだ起きているんですね。
エリザ:……夜は神と向き合う時間です。リオ、こんな時間にどうしました?
リオ:なんとなく……。予定もない、眠れない夜だったので……。
エリザ:……そうですか。そういう夜もありますよね。
リオ:……シスターは、怖くないんですか?」
エリザ:何が、でしょう?
リオ:夜の教会にひとりきりだなんて。俺ならきっと怖くて耐えられない。
エリザ:夜の教会はとても静かですからね。波の音が響き渡る中、蝋燭の灯りが、ニンゲンの心のように揺らいでいる。
私は……そんな協会もキライではありませんよ。
リオ:……あなたはとても強いんですね。
エリザ:そんなことはありませんよ。私とてニンゲンですからね。
怖いものだってありますよ。あなたと同じように……。
リオ:え?
エリザ:リオ、あなたは何を恐れているのですか?
リオ:……分かりません。自分自身なのか、それとも……ここにいるシスター……あなたなのかもしれません。
エリザ:私が怖いですか?
リオ:シスターが何を考えているのか、分からないからです。誰にでもみせるその笑顔の裏に、どんな思いが隠されているのか……。
リオ(モノローグ):エリザはいつものように微笑む。
エリザ:ニンゲンは皆、心に仮面を被るものです。リオ、あなただってそうでしょう?
リオ:……そうかもしれません。でも、シスターは特別です。
リオ:シスター……あなたは、神父様のことをどう思っていましたか?
リオ(モノローグ):エリザの微笑みが、わずかに揺らぐ。
エリザ:……唐突にどうしました?
リオ:……神父様が亡くなって、みんなこの島の人たちは皆悲しんでます。でも、シスター。あなたはその素振りを全くみせない。口では哀しいとおっしゃってましたが……。俺にはそう見えないんです。
エリザ:……神父様は、この教会にとって必要な方でした。信仰を導き、人々を守る……その責務を、最期まで果たされました。
リオ……それだけですか?
エリザ:……それ以上、何を望むのですか?
リオ:……すみません。変なことを聞きました。
エリザ:……ニンゲンは皆、罪を抱えています。それを認めることは、決して簡単ではありません。
リオ:……シスターがそう言うなら、そうなのかもしれませんね。
リオ:夜遅くにすみませんでした。
リオ(モノローグ):シスターは俺の瞳を見つめ、いつものように微笑む。
エリザ:おやすみなさい。リオ。
リオ:おやすみなさい。
リオはそのまま教会を後にする。エリザは蝋燭を見つめたまま、静かに祈りを捧げる。
夜の教会に、静寂が戻った。
場面転換
(教会の片隅。蝋燭の明かりが揺れる中、アランが小さな溜息をつきながら立っている。私は静かに彼の背後から近づく。)
アラン:シスター・エリザ……
エリザ:アラン……
アラン:朝早くからご苦労様ですね。
エリザ:とんでもありません……今やあたしにとっての大事な仕事ですから。
アラン:……神父様が亡くなってから、ずっとあなたが教会を支えている。本当に、大変でしょう。
エリザ:……お気遣いありがとうございます。
エリザ(モノローグ):アランは一瞬言葉を詰まらせ、あたしから目を伏せる。
アラン:神父様は……よく私の懺悔を聞いてくださいました。どんな罪も、あの方は赦しを与えてくださった。
エリザ:そうですね。神父様はいつも穏やかで……
アラン:シスター、私……あの……少し話を聞いていただけますか?
エリザ(モノローグ):私は微笑んで頷く。アランは少し震える声で言葉を続ける。)
アラン:私は……罪を犯しています。妻を愛しているのに、他の女性に心を奪われている……
エリザ:それは……身近な方に対する想いなのですか?
エリザ(モノローグ):アランは私をジッと見つめる。その瞳には迷いと後悔がかすかに映っている。
アラン:えぇ……とても身近な人です。
エリザ:……どうして、そのような想いを抱いたのですか?
アラン:……わかりません。ただ……その方は妻よりも若く、そして美しいんです。
思わず目を奪われてしまうほど、美しい。
エリザ(モノローグ):静寂が境界を包む。私はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐く。
エリザ:アラン……あなたのその想いは罪ではありません。人は弱い生き物です。
アラン:ですが……その弱さに甘えてしまいそうで、怖いんです。
エリザ:甘えずに生きる人などいませんよ、アラン。
アラン:……ありがとうございます。妻が待っていますので……そろそろ……
エリザ:また、いつでも来てください。ここは、誰にでも平等に開かれた場所です。
アラン:……なんとお礼をしていいか。
アランはそのまま教会を去っていった。
場面転換
(ミカとアランの家。小さな食卓に二人が向かい合って座っている。テーブルの上には数切れのチーズとワインのボトル、ワイングラス。窓の外では遠く海の波音が響いている。)
ミカ:……神父様が亡くなって、もう4か月になるのね。
アラン:そうか……もうそんなに……。
ミカ:……ねぇ、シスター・エリザ、大丈夫かしら?
アラ:シスターがどうかしたのか?
ミカ:最近会うたびに思うのよ。いつも顔が疲れてる。
アラン:……彼女は強い人だ。そんな心配は無用だろう。
(ミカはワイングラスを揺らしながら、静かに笑う。)
ミカ:……あなた……彼女をよく見ているのね……
アラン:それは君も同じだろう。:
アラン(モノローグ):沈黙が流れる。相変わらず、ミカとは視線が合わない。
ミカ:ねぇ、アラン。あなた、私を愛してる?
ミカ(モノローグ):アランは答えず、ただワインを飲み干す。
アラン:ミカ、君こそどうなんだ?
ミカ:……そうね。もう、私たちの間には何も残っていないのかもしれないわね。
アラン(モノローグ):ミカは小さく笑い、ワインを口にする。その仕草はどこか自嘲的にも見える。
アラン:俺たちは……ただ、形だけの夫婦を続けているだけだ。
ミカ:形だけ、ね。まるで芝居みたい。毎日同じセリフを言い合って、同じ顔を見つめて、それでも何も感じない。
ミカ(モノローグ):アランはフォークを置き、窓の外をぼんやりと見つめる。
アラン:……キミは、ボク以外の誰かに愛されているのか?
ミカ:……そうね。愛されていると思いたい。でも、それは本物の愛なのかしらね……。欲望や孤独を、ある種の愛と錯覚していただけなのかもしれないわね……。
アラン:……ボクたちは、もう取り返しのつかないところまで来てしまったのかもしれないな。
ミカ:でも、私たちは一緒に食卓を囲んでいる。ねぇ、アラン。これは何?愛情?それとも惰性?
アラン:さぁね。分からない。もう何も分からないよ、ミカ。
ミカ:(モノローグ):再び沈黙が訪れる。2人の間には冷たい空気が漂っている。遠くから波の音だけが、規則正しく響き渡っている。
ミカ:ねぇ、アラン。あなた、シスター・エリザを愛しているの?
ミカ(モノローグ):アランの手がぴたりと止まる。彼は顔を上げずに答える。
アラン:……愛なんて、そんな大それたものじゃない。ただ、彼女はボクの中の何かを動かした。それだけだよ。
ミカ:それを愛っていんじゃなくて?少なくとも、あなたにとってはね。
ミカ(モノローグ):私はワイングラスを置き、テーブルに肘をつく。そしてじっとアランを見つめる。
ミカ:あなたはもう……私が誰かと関係を持ったことに気づいているんでしょう?
ミカ(モノローグ):アランは何も言わない。答えを出さないことが答えであるかのように、ただ黙っている。
ミカ:私たちは、もう壊れているの。でも、それでも私は、ここにいる。あなたと一緒に。
アラン:それは、どうしてだと思う?
ミカ:それが1番、楽だからよ。愛が冷めても、習慣は残るものよ。
ミカ(モノローグ):アランはゆっくりと立ち上がり、窓の外を見つめる。
アラン:……俺たちは、きっと罰を受けるんだろうな。
ミカ:そうかもしれないわ。でも、その罰は誰が与えるのかしら。神様?それとも、私たち自身?
アランは何も言わず、窓の外の暗い海を見つめ続ける。
ミカは再びワインを注ぎ、静かに飲む。
部屋には重い沈黙だけが残る。
場面転換
(夕暮れ時の丘で、リオはぼんやりと海を眺めている……)
アラン:海はいいな。何もかも飲み込んで、全部流してくれる。
リオ(モノローグ):どこかからか、アランが現れる。
リオ:眺めていると、色々忘れられる。
アラン:都合のいいことも、悪いことも、全部。
リオ:……何が言いたいんだ?
アラン:……島は狭い。誰がどこで何をしてるか、すぐに噂になる。
リオ(モノローグ):アランはじっと見つめてくる。
アラン:……なあ、リオ。最近教会によく行くよな。
リオ:……別に。ただ、静かな場所が好きなだけだ。
アラン:……それだけか?
リオ:どういう意味だ?
アラン:いや……ただの独り言だよ。
リオ:アランさんは……エリザさんのこと……どう思ってるんだ?
アラン:それはもう、美しい人だと思うよ。誰だってそう思うだろう。
リオ:……そうだな。
アラン:1人でなんでも背負ってる。とてもお辛いだろうな。
リオ:……神父様の死、謎のままだな。
アラン:……ああ。誰も真実を知らない。けど、1つだけ確かなことがある。
リオ:何だ?
アラン:この島では誰もが何かを隠しているってことだ。
夕陽がゆっくりと沈んでいく。
場面転換
(夜明け前の教会の中……)
エリザ:
暗闇と静寂に包まれた教会の中で、蝋燭の明かりが揺れている。窓の外はまだ紺色に染まってはいるが、東の空が微かに白み始めている。
私は、静かに祭壇の前に跪く。いつものように、なるべく穏やかな微笑みを浮かべているけれど……はたして、上手くできているだろうか。神へ向き合い、神へ祈るふりをしているけれど……私はただ自分自身を見つめているだけにすぎない。
神様……あなたは本当にここにいらっしゃるのでしょうか……
この問いに答えなんていらない。私は知っているのだ。あなたがいるかどうかは問題ではない。私の世界は、私自身の中で完結している。私の世界では、私が中心にいるのだと。
蝋燭の炎が静かに揺れる。影が壁に映り込み、不規則に動く。その影は、私の本性そのものを映し出しているのかもしれない。
もしもいらっしゃるのであれば……どうか教えてください。この教会で繰り広げられた欲望と欺瞞の数々を……あなたは、赦してくださるのでしょうか?
赦し。
なんて滑稽な言葉だろう。そもそも、なぜ人々は赦しを求めるのだろう?
赦しを求めるのは、「何か」が弱い者たちだ。私は赦しを必要としない。赦しを求めるという行為自体が、自らの過去の行動を過ちと認めることになってしまうのだから。
神父を殺したのは、当然の成り行きだった。
神父は醜悪な欲望の塊だった。
ただ、それだけのこと。
夜明け前の海からやってきた風が、微かにステンドグラスを揺らす音がする。
あの夜、神父を殺した瞬間に、私はようやく自由になれた。彼の異常ともいえる私への執念に苦しむ日々、偽善の笑顔……それらすべてを終わらせたのは、他でもない、私だ。私の手が、私を救った。
「人は、罪を背負うことで強くなるもの」
迷いはない。罪とはある種の誇りであり、ある種の力の源だ。神父を殺したことで、私は完全に救われた。それが神の意志であろうとなかろうと、私には関係のないことだし、どうでもいい。
東の空がわずかに明るくなり、ステンドグラスに光が差し込む。青や赤、金色の光が私の顔に落ちる。この光は……少なくとも神の祝福ではない。これはただの自然現象だ。けれども、今の私にはそれで十分すぎるくらい。
あなた様が存在するのなら……どうぞ、この祈りに耳を傾けてください……。そして……ご覧になってください。この私を……。
天井を見上げ、唇の端をわずかに上げる。この微笑みは、祈りを捧げる者のものではない。むしろ、自分がすべてを支配しているという確信に満ちたもの。
光が強くなる。蝋燭の明かりが薄れ、ステンドグラスを通した光が私を包む。私は、ただ光を全身に浴びる。
神様……本当に……あなたはいらっしゃるのですか?
その時、教会の鐘が鳴り始める。夜明けを告げるその音が、静寂を破る。けれど、私の心の闇は、決して晴れることはない。微笑みを湛えたまま、私はただ、いつものように、この世界の美しい静寂を感じている。
島には、鐘の音だけが響き続けている。
また、新しい1日が始まる。
何の変哲もない1日が始まり、何事もなく終わる。
そんな日常が永遠に続くように、私は今日も人々に耳を傾ける。
恐ろしくも、美しい。
そんな毎日が続くように……。