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雨降る夜にモヒートを



シトシトと降り続ける天気雨は、夜の静寂を優しく濡らしている。
街灯に映える小さな雨粒が、闇の中で金木犀のように輝いていて、夜空から降ってきた星のように見えなくもない。
海沿いなのに風はそこまで強くないけれど……その冷たさは、私の肌を刺しているみたいに感じてしまう。
 
そんな寂れたオレンジ色の小さな灯りは、歩道に溜まった小さな水たまりをほんの少しだけ照らしている。
雨粒がリズムを刻んで波紋を広げ、それがいつのまにか消えてしまって……
永遠に繰り返されるその音は、常闇に静かに響き、街は静かな雨に包まれている。
 
冷たい風が首元をスッとすり抜け、街路樹の葉がかすかな音を立てている。
夜の雨は、何かを洗い流すような清々しさと共に、少しばかりの孤独をもたらしていた。
 
すぐそこのカフェの窓から漏れる暖かな光が、とても眩しく感じてしまう。足元で雨水が静かに流れていくのを見つめながら、私はこの冷たい雨の夜に、ふと心が落ち着いた気がした……。
海沿いのカフェ……
本当は天気のいい晴れたお昼とか、夕焼けが眩しい時間に来るべきなのかもしれないけれど……
これも何かの運命かもしれない。
この雨が止むまで、ここでカフェオレとか嗜むのも、悪くないかもしれない……。
気が付くと、私はカフェの中へと入っていた……


 
 
 


こんばんは……
 
こんばんは。お好きな席へどうぞ。
 
 


明るい茶髪をキレイなポニーテールにしているお姉さんに促されて、私はこぢんまりとした、そこかノスタルジーを感じる店の中に引き込まれていった。
とりあえず、お姉さんの近くのカウンターに座る。
中のライトも淡いオレンジ色で、なんだかエモイ。
 


 
ご注文が決まりましたら、声をかけてくださいね。
 
 


ニコッと笑ったお姉さんは、メニュー表をあたしの手元に置いて、そのまま少し離れた場所に行ってしまった。その瞬間、少しだけ金木犀の香りがした……気がする。
 
 


あ、あの……
 
はい?
 
ここ……カフェだと思ってきたんですけど……
その……メニューにお酒しかないというか……
 
えぇ。
この時間にここへくるお客さまは、皆さんお酒を飲みますので……。
コーヒーやカフェオレもありますけど、インスタントです。
 
そう……なん……ですか……
 
 

カフェなのにメニューにはお酒しかない。
このお姉さんはとても自由な方のかもしれない。
でも、海が見えるカフェで、波音を聞きながら、こんなエモイ空間でお酒を嗜むの悪くはない気がしてきた。むしろそれが「大人」という奴なのかもしれない。
 


 
あ、じゃあ……
モヒート。
モヒートを1杯下さい。
 
かしこまりました。
少々お待ちください。
 
 


そういうと、お姉さんはグラスを取り出して、あたしのためにお酒をつくり始めた。
お酒の瓶を開ける音、冷蔵庫から炭酸を取り出す音、それがシュワシュワと雨粒のようにはじけている音が聞こえてくる。
ここ……ホントにステキな場所かもしれない。
今日は雨が降っているけれど、もしも大きな月とかが出て、空気が澄んでいたら、このカフェは月明りに照らされて、エモい夜が余計にエモくなると思う。少なくとも、お酒と孤独を嗜む場所としてはうってつけかもしれない。
 
 


お待たせいたしました。モヒートです。
 

あ、ありがとうございます。
 
 


普段のお店の姿を妄想していたら、いつのまにかお酒ができていたみたい。
のども渇いていたし、なにより久しぶりのお酒。
躊躇なくグラスに口づけさせてもらうとしよう。
 


 
ん…‥あま……
あぁ……でもスーっとしてて飲みやすい……
 
ふふ。ありがとうございます。
 
あ、いえ……
これ……けっこう甘めにつくってますね……
 
えぇ。
あたし、甘いのが好きなので。ついそういう風に作ってしまうんです。
 
なるほど……
 
あまり甘すぎない方がよかったですか?
 
とんでもない。
むしろ甘いのが飲みたかった気分なので。
これくらいでちょうどいいです!
 
そうでしたか。
気に入っていただけたようで、何よりです。
 
あの……
このカフェは晴れてる日だと、もっとお客さんいるんですか?
 
んー
このお店が満席になることはないですねぇ。
多くても2・3組の方がいらっしゃっては帰ってを繰り返す……感じでしょうか。
 
へぇ……
やっぱり夜とかは景色とかキレイなんですか?
 
どうでしょう……
月灯りに照らされた海なら見えますし、今も聞こえていますが、波の音も自然と耳に入ってきます。でも夜ですから、やはり朝とか夕方と比べてしまうと見えにくくなってしまうのは事実ですね。
 
その時の方がお客さん多いですか?
 
朝はこのお店は開けていないのでなんともいえませんが、夕方はテラス席が人気ですね。
今は雨が降っているのでお店の中に置いてありますが、本当は1人掛けのソファとテーブルは外にあるんです。
そこでお酒を飲みながら、海を眺めるお客様はいらっしゃいますね。
 
うわぁ……いいなぁ……
あたしもソレやってみたいなぁ……
 
ふふふ。いつでもお待ちしていますよ。
 
じゃあ陽が沈んじゃったら、テラス席も閉めちゃうんですか?
 
いえ……今日のように雨が降らなければ、テラス席にも座れますよ?
夜にはキャンドルを置いてますので、海が奏でる音をBGMに、本を読んでいる方もいらっしゃいます。
 
オシャレですね……
あたしもそんな優雅なひと時を過ごしてみたいなぁ……
こんな場所でモヒート飲みながら小説読んだら最高だろうなぁ……
 
ここで読むと、小説もより色鮮やかに感じるんですよ?
 
てことは、お姉さんも……
 
お客さんが来ない時なんかは、ずっと本を読んでいるんです。
 
へぇ……どんな本を読んでるんですか?
 
主に比較的昔に書かれた小説が多いですね。
もちろん現代の作家さんのも読みますけど。
 
昔の小説かぁ……
なにかオススメとかあります?
 
オススメですかぁ……
たくさんありすぎて迷ってしまいますが……ヘミングウェイなんてどうでしょうか?
 
「老人と海」を書いた人ですか?
 
そうです!文章自体はとてもシンプルですし、物語も色々考えさせられるものが多いですので、時間を忘れて読んでしまうんです。
 
 
そうなんですね……有名な人だけど読んだことないな……。
メモしとこ。
 
小説とかお好きなんですか?
 
あ、いや……
あたし実は大学生で、文学部なんですよ。
それで色々本とか読まないといけないっていうか……文学部なのに小説とか全く読まないとか、変とまではいかなくても、授業とかついていけなくなっちゃうんで……
 
そうでしたか。
 
でもなんか……想像してたのと違うんですよね……
 
……そうなんですか?
 
えぇ……
実はあたし、浪人してて……成人してやっと大学に入れたんですよ……
 
 
お姉さんは何も言わず、あたしの方を見ている。
 
 
ぶっちゃけ勉強したいことなんてなくて、ただそれなりにイイ大学に行きたかったんですけど、現役の時はダメで、それでズルズルと2年浪人してようやく……って感じだったんです。文学部って言うのも、国語が得意だから選んだだけで、正直そのこまで興味はないんですよね……
 
 
気が付くと私はモヒートを半分近く飲んでしまい、考えていたことをお姉さんに全部話してしまっていた。
雨の音と波の音が、別々にハーモニーを奏でている。
 
 
でもいざ入ってみると、周りはみんな現役で入ってきた子ばっかりで……こう……キラキラしてるんですよ。私とは違って。
そこにギャップを感じちゃって、なんだか上手くなじめなくて……
 
 
シンとした冷たい空気が、カフェの中に流れている。
ただ、甘い香りがほのかにするカフェは、雨音と波のラプソディーに包まれている。
 
しかも、心機一転して始めたバイトも、人間関係がつらくて。毎日怒られてばっかりで、ツラいんですよね。実は今日も怒られたばっかりなんです。
 
 

グラスに残ったお酒を一気に飲み干す。
ラムのびっくりするような主張の強さと、ミントの爽やかさが口の中で混ざり合って、一気に体へと流れ込んでくる。
体中に酔いが回っていくのを、痛々しいほどに感じる。
 
 

私は私なりに努力したのに、手に入れたのは居場所がないっていう孤独感だけで……
あたしなんのためにこんなに頑張ってきたのか、よくわかんなくなっちゃったんですよ。

 
 
すべてを話し終えると、お姉さんは優しくあたしに微笑んでくれた。
今は見えない月灯りのように……あるいは、雨粒に濡れた街灯のように暖かく。
 

 
そうだったんですね……
それで本をたくさん読もうとしてるんですね。
 
……はい。
まぁ……こんな状況じゃ、読むかどうかもわかんないですけどね。
 
……先ほどご注文いただいたモヒートに、ミントが添えられていたのは覚えていますか?
 
え、えぇ……。
入ってましたね。清涼感があって、とても美味しかったです。
 
ありがとうございます。
実はモヒートって、ミントがとても大事な材料なんですよ?
 
そう……なんですか?
大事なのはベースのラムじゃないんですか?
 
もちろんラムも重要です。
ですが、最初に入れるミントを作る過程で潰しすぎてしまうと、ミントに含まれている苦い成分がでてしまって、そのままお酒自体の味も変わってしまう時があるんですよ。
 
へぇ……
そんなことが起きるんですね……
 
まぁそもそも、ミントって何種類もありますから、入れる種類を変えるだけで、お酒の味が変わることもあるんですけどね。
 
ミントってどれも同じだと思ってたんですけど……
違うんですね。
 
そうなんです。
外から見れば、見た目はほとんど同じですけど…‥
中身は全く違うんですよ。
 
じゃあこの飲み物……すごく繊細なんですね……
材料1つで味がそんなに変わっちゃうだなんて。
 
シンプルな材料の組み合わせですからね……
でもその分、色々なアレンジもできるんですよ?
ソーダの量を変えて、アルコールの強さも調整できますし、
砂糖をガムシロップとか、黒糖とかに変えることもできます。
 
ほんとに色々な組み合わせ方があるんですね……
 
それぞれにそれぞれの良さがあって、奥が深いんですよ。
 
お姉さん……お酒が好きなんですね。
 
そうですね……
こうやってお酒をつくってると、なんだか小説を読んでるみたいで、面白いんです。
 
はい?
 
物語を読んで、その世界に入り込んで、もしも自分がそのキャラクターだったらどうするのかとか、あたしならこんな気持ちになる……とか、色々なことを考えてしまうんです。
 
……
 
お酒とおんなじで、1つの物語をとっても、色々なことを感じたり、考えたりして、味わえるわけですので……
物語とお酒って、なんだか似てるなぁって思うんです。
 
……そんなこと、考えたこともなかったです。
お姉さんはどっちも、同じくらい好きなんですね。
 
そうですね……
好きじゃなきゃ、続けられていない……というのは確かかもしれません。
 
……物語に対して、そういう感情がない私は、やっぱり向いてないのかもしれません。
 
 
 
……先ほど話に出た「老人と海」って、どのような物語か、ご存じですか?
 
いえ……あまり詳しくは……。
年老いた老人が、大きな魚を釣る話……みたいな感じとは聞いたことありますけど……。
 
そうですか……
では、ネタバレになってしまいますので、あまり物語の詳細には触れませんが……
あのお話って、主人公の「老人」は、魚以外にも、虚無感とか、絶望とか、そういったものと対峙していく物語なんですよ。
 
絶望……ですか……けっこう重そうなお話なんですね。
 
……そうかもしれません。
最終的に、そういう出来事に退治した後に、主人公にはある程度の穏やかな日々が戻ってくるんです。
 
なる……ほど?
ハッピーエンドなんですかね?
 

それは……あたしにはわかりません……。
ですが、主人公のセリフ……
"But man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated."
なんだかすごく考えさせられるんですよね……
 

今のセリフ……どういう意味なんですか?
 

大雑把に訳すと、ニンゲンは負けない。打ちのめさることはあっても、負けることはない……みたいな感じですかね。
 

はぁ……
 

そういって、主人公の老人は、色々な存在と対峙していくんです。
 

……強いですね。
 

えぇ……とても。
少なくともあたしは、こんなに強くは振る舞えません。
 

あはは……
私も無理ですねぇ……
 

でも、ここまでストイックにならなくても、
もっといってしまえば、休みながらでも、自分のペースで
何かをするって、大事だと思うんですよね。
 
……
 
それこそ、甘いお酒を飲みながらでも、何かをしていたら、思わぬ形で何かステキなものに出会えるかもしれないじゃないですか。
推しの作家さんを見つけられるかもしれないですし、人生を変える物語に出会えるかもしれません。
 

……そういう考え方もあるんですね。
 

まぁ……勝手にそんな風に解釈して、毎日お酒を飲みながら本を読みたいだけなんですけどね。
 
 

いたずらっ子のように笑って、お姉さんはどこか嬉しそうにつぶやいている。そんなお姉さんは、あたしとは対照的にとても楽しそうだった。
 
ガラス越しに見える街灯の光が、雨粒に反射してぼんやりとした輪郭を描いていた。静けさの中、カフェの外で雨が奏でるリズムだけが唯一の音楽だった。こんな夜に、ここに来る理由はないのに、私はどうしてもここにいたかった。
冷えた体に、モヒートの心地よい冷たさが染み渡り、少しだけ体が暖かくなった気がする。
雨は今も、しつこく窓を叩いている。夜の深みは一層際立っていて、私の心といっしょに、底知れぬ暗さに飲み込もうとしている気がする。
 

続く?



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