【見習い日記⑲】 同窓会めんどくさすぎて横転!!の話 (前編)
「同窓会」とは、なんとも面倒なものである。
特に、ボクのように地元から離れて暮らしている者にとっては何もかもが面倒である。移動手段や宿泊場所の確保はもちろんのこと、事前に当日の服装を決めたり白髪を染めたり鼻毛を切ったり「身だしなみ」を整えなければならない。
すごく面倒である。
全員同じ歳のおっさんおばさんなのだけど、少しでも皆より若く見られたい、良い感じに見られたいという底意があるのだ。
これまでも年に数回、実家に帰る度に地元の同級生と飲みに行っていた。集まってもせいぜい4〜5人のいつものメンバーで行われる近況報告会のようなものだ。「◯◯のお父さんが入院した」だの、「◯◯は癌が見つかった」だの、「◯◯は離婚した」だの、最近は段々と暗い話が増えてきてしまった。昔聞いた歌にそういう歌詞があったが何の歌だったか思い出せない。そういうお年頃なのだ。
ある日、その近況報告会のいつメンの1人で小学校来の友人「タカギ」からの電話が鳴った。
「中学校の時のマエノ先生って覚えてる?3月で定年だったんだけど、今度 息子さん家族が住んでる東京に引っ越すらしいんよ。」
正直ピンと来なかった。
「えーと…」
「ほら!3年9組の担任だっただろ!」
3年1組だったボクには全く記憶がない。タカギが9組だったことも寝耳に水である。それぞれの教室は北校舎と南校舎とで別れており、唯一の紐帯と言える渡り廊下をわざわざ往来する事など殆ど無かった。ボクは 教室から一歩も出ない系男子 であったからだ。
「それでさぁ、一緒に飲みに行こうって話になって、じゃあ何人かに連絡取っt(以下略)」
仕事中だったこともあり話半分で参加すると伝えた。どうせいつもの近況報告会の延長であろう。
ところがどうだ。いつもはおとなしい同級生のLINEグループの通知が鳴り止まない。参加人数が増えていく。しかも9組中心でこれまでにない盛り上がりを見せていた。〇〇の連絡先知ってるヤツいる?場所は?二次会は?花束は?………
すごく面倒である。
盛り上がり方がすごく面倒である。参加すると言った手前、この賑々しい輪の中に自分の居場所を見出さなければならない。そもそもマエノ先生の顔が思い出せていない。
LINEの通知は「〇〇が〇〇を招待しました」が多くなっていた。アカウント名では招待した側もされた側も それがいったい誰なのかボクには皆目見当がつかない状況である。非常にまずい。
そこで自分のホームグラウンドである「近況報告会」の他のメンバーに連絡してみることにした。
「オレ行けないや」
「ごめん出張中なんよ」
「その日は消防団の集まりで…」
ヤバい。ボクにも今更ながら急用が出来ないか模索した。なんでもいい。なんなら親戚の1人でも逝ってはくれまいかと不謹慎極まりないことさえ考え始めていた。
しかしそういう状況の中、報告会構成員の1人、「コージ」だけは違った。こいつも小学校来の友人である。独り身で毎日 職場 自宅 スナックという規定のコースを廻るだけの人生を謳歌している。
「おう、行くよ!」
流石である。流石コージである。普段から「趣味を持て」「とりあえず彼女作れ」「DQ5でフローラを選ぶなんてお前はクソだ!」など、偉そうに講釈を垂れていた自分を戒めた。コージはこんなボクを見捨てることはなかったのだ。吹きつける逆風から身を挺してボクの前に立ちはだかってくれた。これからは心の友と呼ぼうではないか。これぞ心友である。
「だってオレも9組だもん」
前言撤回である。2024年の前言撤回世界最速記録であろう。
ちょっと待て!何かの思い違いではないか?お前はそういう所がある。もう一度よく考えろ!いつから9組になったのだ?逆に9組メンバーはおまえのことを同じクラスだと認識しているのか?ボクは口元に泡を吹かせながら強めの口調で問い詰めた。
「いやほんとに9組なんだってば!」
これで完全アウェーとなってしまった。甲子園球場の一塁側に巨人のユニフォームを着て座るほどの心細さである。
9組連合会以外にも参加者はいるが、いかんせん会うのが数十年ぶりである。そういった輩の隣に座ろうものなら自分の近況報告から始めなければならない。久しぶりに会う旧友とのひとときを頭の中で少しシミュレーションしてみた。
……やはりすごく面倒である。
当初予定していた地元の居酒屋では人数が入らないということになり、宴会場を完備した少し大きめのお店に決まった。コース料理の飲み放題付きだそうだ。
すごく面倒である。
そもそもボクはお酒が飲めない。いわゆる下戸である。最初の乾杯をした後はひたすらコーラを嗜む。よって、飲み放題はコスパが悪いと感じてしまう。友人達と過ごすあの時間と空間にお金を払っているのだと自分に言い聞かせて いつも心を落ち着かせている。
しかし、コース料理となると話は別だ。ボクは鶏の唐揚げと〆に梅茶漬けが食べたいのだ。ボクの中での「コーラ+鶏唐+梅茶漬け」は、長嶋監督が93年頃に提唱した「橋本+石毛」の「勝利の方程式」に匹敵するほど絶大である。ここはゆずれないのだ。
日時、場所、人数、会費など、全て自分の範囲外で決まり、何もかもが面倒なまま、何も解決しないまま、あっという間に当日を迎えたのであった。
そしてさらに面倒なことが起こることをまだボクは知らなかった。
つづく