話したいの

人は話がしたい
言葉を交わしたい

ここ病棟では、それを通い合わせたいわけでもなく、
分かち合いたいわけでもなく、
ただ、どこか自分に似ていると自分が想像できる人に
一方的に話がしたい。
環境が離れすぎてしまってはなかなか伝わりずらくても
病気という同じキーワードがあればその部分の問題はクリアできる。

いろんな人がいろんな話をしてくれた。
その言葉にある感情や重さは吐き出すことでその人から解放される。
皆さん、わたしより年がいくらか上だったけれど、
溢れる雨のために開けた水門のごとく言葉が止まらなかった。

わたしはわたしではない人の考えを持ち得ることは不可能だ。
だからそれを教えてもらうことについてはとても興味深いから一旦受け止める。
都度会話の返球はしなかったけど、どの人の話も隣で耳を傾けた。
たまにそれは、どこかで聞いたような歯が浮くような格好いいセリフだったり、
ネットに溢れる責任の所在もなければ目に見える効果もよくわからない民間療法的なものだったりもした。
病気になってから困ったことだったり、そうなってしまってから周りの人に打ち明けづらくなってしまったことだったり。
そのどれもがもちろんわたしの考えイコールではない。
でも、堂々と話せるほどの強い意志でその人たちはそれを信じているから
それはその人たちそれぞれにとても大きな意味を持っているのである。
場合によってはもう頼るところが精神の部分のみになっている方も多かった。

ストレス論とか、添加物論とか、果てはマッカーサー論まで話は遡り
マッカーサーのせいで日本の癌が増えたと言われるとほーとしか思えなかったけど。
自分の体から出たものだから自分で直すことができるというおばさまの発言は
本当のところ意図する部分がわからないけど説得力があるんだか、ないんだか。

たまに、相撲を見ながら歓声を上げつつそんな話をしたり、にわかにたまたまついていたからと世界陸上を見て涙が出て中断したり。
面白いことに、人の数だけ病気があって、人の数だけ考えがあって、人の数だけその人の経験があった。

老婆心からか、わたしが病気になってから、いろいろな知り合いに、
「わたしの知り合いの人で肺がんの人がいて、こんな治療してたらしいよ」とか
「わたしの友達も、癌の人がいる」とか
「〇〇という薬は体に良くないから断った人がいっぱいいるらしいよ」とか
そんな情報らしきものを発信してもらうことがあるけれども、
ネットでも調べない(信用しない)わたしには一番いらぬことだった。
ある時なんて、出血しないありがたい水とやらももらった…こわ
思ってくれる気持ちはとても嬉しいが、それは情報でもなんでもないし、
それらはわたしの体に起こっていることじゃないから正直関係ない。
だから、病気の時は病気の人と話しているのが楽なのかもしれないな。
話をしたみなさんはどうかわからないが、わたしはこの癌の人とたちの
病気の会話を聞く時間、少なからず楽だった。
どちらかというと、病気の話はあまりわたしの周りの人にはしたくないから。
そして、周りの人にも気をつかわせてしまうから。

癌になって、腫れ物でいたくないの。だって、足だってちょっとむくんだりするけど歩けるし。美味しいものを食べる胃腸も口も。箸を持つ手も。体は不健康だけれども元気だから。そして、一緒に笑いたいこともあるし聞いてほしいこともある。
早くお酒を飲んで大好きなみなさんと話したいものだなあ。一方的ではない方の。







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