人身事故と、馬肉とバター
今日は終戦記念日。
ちょうど祖父母もお盆で帰ってきているので、祖父母と戦争について書きたいと思います。
私達世代はわりと経験していることですが、小学4年生くらいのときに
「おじいちゃん、おばあちゃんに戦争の話を聞いてくる」
という宿題が出ました。
母けいちゃん方の祖父母が近所にいたので、私はノートを持って祖父母の家に行きました。
祖父母は、いつものようにニコニコ迎えてくれ、宿題の話となりました。
おじいちゃん、おばあちゃんに、戦争の話を聞きたいというと、まず祖父が
「赤紙が来て、戦地に行っておじいちゃんが任された仕事は防空壕掘りだった」
うんうん 。
「支給された靴が合わなくて、靴ずれができた」
「でも防空壕掘ってたら体調を崩して、お前は使い物にならないから帰れって言われて、帰る途中の電車で終戦になった」
「その電車が途中止まったので、なんだなんだと窓の外を見たら、じいちゃんの下から電車にひかれた人が出てきてびっくりして怖かった」
なるほど。
小学生の私は一生懸命メモしました。
次、おばあちゃん。
「町屋でひどい空襲があって」
うんうん 。
「馬が焼けたっていうから、そのお肉をもらいに町屋まで行ったわ。よしこちゃん(けいちゃんの姉)が、まだ小さくて栄養が足りなかったから」
「それから、アメリカからマッカーサーという人が来て、一斗缶っていう大きな缶に入ったバターをくれました。それがとてもおいしかったわ」
なるほど。
私は無事宿題を終え帰りました。
でも皆さんお気づきだと思うのですが、明らかに先生の意図した内容の話ではないのです。
先生は悲惨な話や辛かった話、悲しい話や苦労話、場合によっては残酷な話をみんなに聞いてもらって、戦争はいけないということを学んでもらいたかったのだろうと思うのです。
私はそんなことを知らず、翌日みんなの前で宿題を発表したわけです。
人身事故の話と馬肉とバターの話を。
でもみんながおじいちゃん、おばあちゃんに聞いてきた話は、これが全然違う。
怖い話や悲しい話で、私はちょっと恥ずかしくなったのです。
それで帰ってけいちゃんに、私だけみんなの話と違った!と、文句ではないけれどちょっと不満に思って言ったのです。
けいちゃんは
「おじいちゃんと、おばあちゃんは、まさこに話したくなかったんじゃない?」
と言いました。
それは「まさこに」話したくなかったのか。
それとも祖父母が話したくなかったのか。
戦争の真実を語り継ぐことは大切。
一方で、話さない選択をする人もいるということを4年生のときに知りました。
語り継ぐお話は、幸せなものや、勇気の出るもの、楽しいものであってほしい。
今、他の国々には悲しいお話があふれています。楽しい物語がたくさんの世界になるよう祈ります。
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