桜の木の下の世界

 桜の木の下に死体が埋まっているそうだけれど、その死体にはもう養分はなく、桜の木は自力で淡い桃色をした花をつける。薄めた血の色なのかもしれない。土の下で肉体を融かし、白い骨になった君は、そんなことを考えている。身に着けているセーラー服は白地に紺の襟で、けれど土で汚れ、裾もボロボロになっている。胸の下、お腹の上で白い骨の手を組んで、まるで棺の中で永い眠りにつきはじめた人のようだった。
 雨が降るとすぐに散ってしまう儚い花。満開になるとある種の恐ろしさを漂わせる花。桜。ずっと眺めていると異世界に取り込まれるような気持ちになるのはわたしだけだろうか? 君はそう考えるけれど、気持ちのどこかでは自分だけじゃないことも感じ取っている。夜に満開の桜の木の下でつい立ち止まり、ほおっと感嘆の息を吐き、淡い桃色と濃い群青色に見惚れて、けれど本能的な声に促され、急ぎ足で桜の木の下からの逃れたときには、もう以前とは違う世界に立っている。それが桜の木の下の世界。
 土の中でじっとしているのは退屈で、けれど安らかで、誰かに掘り起こしてもらいたいような、このまま忘れ去っていてもらいたいような曖昧な気持ちでいる。あるときふいに微かに聞こえてきた、ガリガリという土を掘る爪の音もそんな気持ちの中で聞いていた。
「何をしているの?」
 君はその問いに答える間もなく、少女の薄い胸に抱かれた。少女の指の爪から滲んだ赤が、君の頭蓋骨を指の形に濡らした。眠っていた。休んでいた。桜に花を咲かせていた。土の冷たさを味わっていた。貴女に掘り起こされるのを待っていた。どれも不正解な気がする答えが脳裏をよぎり、なので君は何も答えなかった。
 少女は君を、正確には君の頭蓋骨を連れ帰り、一緒に過ごすことに決めたようだった。部屋の机に上に君を置き、ときどき話しかけたりした。ベッドの中で抱かれて眠ったり、お風呂で君の白さを石鹸とスポンジで磨かれたりした。出会ってしばらくの間、少女は十指のうちの七指に絆創膏を巻いており、君はむずむずするような痛々しさを味わった。けれど少女はオリジナルの絆創膏の歌を作ってみたり、絆創膏を「ばんそこ」と小さく略して言ってみたりして、ひっそりした笑みを口元に浮かべたりもした。
 君を鞄に入れて散歩にも出かけた。古いゲームセンターを見つけて、面白がって一緒にプリクラを取ったりした。「笑って」という無茶ぶりを聞いた。君は別にカタカタ笑ったりはしなかった。喫茶店に寄り、君をテーブルに置いて、少女は頼んだケーキを頬張り、目を輝かせて、君にその一かけを分けようとフォークを差し出そうとして、十度ほど首を傾け、複雑そうな表情で眉尻を下げたりした。
 一年が過ぎて、また桜の季節。少女は君を連れて、初めて出会った桜の木の下へ。君が埋まっていた桜の木の根元に腰かけて、鞄から君を取り出し隣に置いた。夕暮れどきだった。誰も掘り起こしていなければ、君の身体はまだその下に埋まっている。
 少女は鞄から保温ボトルを取り出し、赤みがかった褐色の液体を蓋のカップに入れ、君の前に置いた。自分にもステンレスのコップにそれを注いだ。アップルティだった。白い湯気が立っている。
 少女はふーふーとやりながら、舐めようにちびちび飲む。夕日に照らされたオレンジの空が、しばらくもしないうちに薄紫に染まっていく。満開の桜の花が夕方のぬるい風に揺られ、ほんのりと淡い色の花びらが滑り降りていく。

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