駅ビルの少女娼婦
首筋にかぷりと噛みつく。十二歳の女の子が。三十過ぎの男性に。その光景はある意味微笑ましくもあり、同時に恐ろしくもある。目には見えない赤いフィルターがかかる。頭の中にある記憶とイメージがそうする。ぞわりと背筋に悪寒のような、歓喜のような震えが走る。わたしは自分の首が噛まれたかのように、そっと自分の首筋に手を添えた。
歯を磨く。十二歳の女の子の歯を。その子は金色の髪を長くして、背中に流して。ドレスのように肩の出た薄緑色のワンピースを着て。
彼女は両手足が途中までしかないので、自分で歯が磨けない。駅ビルの地下で十歳のときから働いていて、ほんの数か月前からわたしが付添人をしている。
付添人になるのに特に資格はいらない。就職情報誌を見て応募して、採用されればカウンターガールより少しだけ高い時給がもらえる。わたしは「働きたくないでござる」側の人間なので、働くのは基本嫌なのだけれど、担当になった女の子がかわいかったので幸せな部類に入るのかもしれない。働きたくないけれど。
歯を磨き続ける。柔らかめの歯ブラシでごしごししゅぷしゅぷ。無防備に口を開けているのを見ていると、つい唇を寄せたくなるし、機会があればいろいろしたい気持ちもあるのだけれど、仕事中なので我慢する。彼女の口の端から白濁した液体が、つっと垂れる。
ぶくぶくぺっをしてから洗面所を出て、わたしは仕事用の格好をする。今日はジェイソンの仮面にした。この前の金曜日が十三日だったので。アイスホッケーでゴールを守る人が顔を守るやつだ。
車椅子を押して仕事場に向かう。抱きかかえていって肘かけのついた高級な椅子に座らせることもあるけれど、そのときどきの雰囲気なんかによって変える。彼女の気分や機嫌によっても変わる。今日はそんな雰囲気だったし、そうしていても彼女の機嫌は悪くならなかった。両手足が途中までしかない女の子が座る車椅子をジェイソンが押している。はた目から見るとなかなかシュールな気がしていい感じだった。
ベッドとブラックライトがあるほうの職場に向かう前に、他の同僚たちと一緒に応接間でお客がくるまで待機する。同僚たちはわたしと彼女と同じのように、ローティーンの女の子と二十歳を過ぎた女性の付添人とのワンセットになっている。
付添人たちは全員顔を隠している。紙袋を被っていたり、狐の面をつけていたり、ウォーズマンだったり。女の子たちは少し特徴がある。片手がなかったり、義足を履いていたり、顔にやけどの痕があったり、目の上に傷跡があったり。他にもいろいろ。
応接間にはテレビや携帯ゲーム機、ボードゲーム、漫画や雑誌などの遊具物が置いてあって、みんなそれぞれで遊んでいる。片手の子が真剣な顔でダーツを投げていて、うっすらと緊張感がみなぎっていた。ダーツは均等のとれたばらばらさに散らばっていて、競技的なことをしているのかもしれない。何となく眺めていると、気づいたその子がふっと笑みをこぼし、寄ってきて小首を傾げながらダーツの一本を渡してきた。ので投げてみると、トスッと的の左下辺りに刺さった。何点なのかはわからないけれど、「うん」と小さく頷かれたので、わたしも「うん」と頷き返した。
そんなことをしているうちにスーツ姿の男性が従業員に案内をされてきた。ちらっと男性のほうに目を向ける子もいるけれど、ほとんどの子は自分の遊びに集中している。男性はその中をゆっくりと進む。図書館なんかの子供広場に紛れ込んだお父さんを思わせた。
「おい」
男性が目の前を通り過ぎようとしたとき、彼女が軽く顔を上げて呼び止めた。低くした声。それでもわたしの普段の声よりいくらか高い。
「何ですか?」
足を止めた男性が特に感情を交えずに聞いた。
「首、見せてみろよ」
仕事モードのときの彼女は、何かと偉そうな態度をとることがある。少し気だるそう。ツンデレ少女、課長モードな感じでかわいらしい。男性は目を見開き、一瞬止まっていたけれど、気持ちを落ち着かせるように息を吐くと、ネクタイをしゅるりとほどき、ワイシャツのボタンを外した。
「死にぞこなったんだな……」
優しい声音で彼女が言った。
男性の首には傷跡があった。歯型だ。女の子の小さな歯型。中途半端な傷。他の店にいって、でもうまくいかなかったのかもしれない。
「……ああ」
男性はどこかほっとしたように頷いた。彼女が唇で笑むときの小さな息の音が聞こえた。
「……大丈夫、ちゃんと殺してやる」
――ちゃんと愛してやる。
そう言っているように聞こえた。
仕事が終わったのでもう一度彼女の歯を磨き、二人分のタイムカードを押して店を出た。彼女を抱きかかえて駅ビルの地下を歩き、広間の真ん中から伸びているエスカレーターに乗る。
通りを挟んだ隣にスーパー銭湯があり、ときどき彼女と仕事の疲れを癒しにいく。仕事が終わったあとなので、抱きかかえた彼女の頭を思う存分かいぐりする。細い髪はさらさらで、指が心地よかった。でもそのうちに彼女はわたしの首に歯を立てる。
「いたいいたい」
わたしはそう言うけれど、そんなに痛くはない。そのまま首を噛み千切られたいとも思うし、甘噛みで留めていてくれるのを嬉しくも感じる。
外に出るともう暗く、街灯と車道を通り過ぎる車の明かりが辺りを照らしていた。横断歩道で立ち止まって、信号が変わるのを待つ。吐く息が白く、抱きかかえた彼女の小さな身体をぎゅっとした。彼女もわたしの首のつけ根に頭をうずめるようにして身を寄せる。雪がちらついていた。