中庭の舞台
今日は調子がいいみたいで、中庭にいこう、と彼女のほうから提案をしてきた。顔色は相変わらず悪いけれど、それでもいつもより頬に赤みが差している気がした。シーツを除けて、ベッドから足を下ろしサンダルを履き、ベッド脇の棚に置いていたカーディガンを羽織る。わたしは彼女の支度が済むのを待ってから口を開いた。
「ちょっとお腹空いたかな。売店あったっけ?」
病院のすぐ向かいにスーパーがあり、買い物があるときはそこに寄ってからくるので、病院内の売り場には詳しくなかった。
「一階にあるよ。北側……正面玄関の逆のほう」
病室を出てから、すっと彼女は私の腕に自分の腕を絡めてくる。わき腹のところに頼りない腕の感触。とても細くて、少し力を入れたらすぐにポキンと折れそうな腕。ご飯を食べさせたい欲が湧くのだけれど、そこら辺は病院のほうでも何とかしようと考えているところだろう。
仲良しな感じで廊下を歩く。彼女は案外しっかりした足取りに見えるけれど、ときどきふらつくことがあって、それがちょっと不安なのだそうだ。
エレベーターで一階に降りて、彼女の案内で売店まで。奥のところにコンビニのチェーン店があった。緑と青の看板が中の蛍光灯で光っていて、店内では人工音声で作られた曲が流れていた。キャンペーンをやっているらしく、緑髪でツインテールのぬいぐるみが棚に並べられていた。
サンドイッチの棚で、テリヤキチキンとたまごのサンドを手に取った。コンビニで買うパンにしては少し高い気がしたのだけれど、おいしそうだなと思ったので買うことにした。それからペットボトルのお茶をレジに持っていく。彼女は温かい紅茶の缶を、カーディガンの袖で包むようにして持っていた。十月半ばは一日の中で暖かくも肌寒くもなる。
わたしたちが中庭と呼んでいる場所は二階あり、今度はエスカレーターで一階分昇る。二階のエスカレーター口のすぐ横にある自動ドアをくぐった先が広いバルコニーのような場所になっていて、石畳の通路と、その脇に花壇を作って、進んだ先に四角い広場があり、各面に二つずつ、八つのベンチが備えつけてある。木製のベンチで、今日は晴れて日に当たって温まっていた。座るとお尻や背中が少しぬくい。そうして彼女は指先を熱そうにしながら缶を開け、わたしはテリヤキサンドの袋を開けた。
「一口食べる?」
そう聞きながらわたしはテリヤキサンドの端を千切って、彼女の口元に持っていく。
「ん、ありがとう」
彼女は小さく口を開け、わたしはそこにテリヤキサンドを押し込めた。彼女は閉じた口をむぐむぐと動かし、やっぱり熱そうにしながらミルクティをその口に含んだ。わたしもテリヤキサンドを齧って、ペットボトルのお茶を開けて口をつける。二つあったテリヤキサンドの一つがなくなったところで、彼女が横目を向けてきて、わたしは小さく頷いた。
ふっと細く息をつき、一度目を閉じて、すうっとゆっくり開けてから、彼女は話し始める。
それは物語だった。現実にはない、偽りの話なのだけれど、彼女はまるで見てきたことのように話した。まるで遠い日の思い出話のように。
彼女の話の中には大抵一人の女性が出てきた。彼女と同じ年ごろの少女や、彼女よりもずっと年上の女の人、彼女よりもずっと年下の女の子。わたしはその人たちを、隣に座る病弱な彼女の姿でイメージする。今のパジャマとカーディガン姿とは違う格好をした、彼女の姿で。ずっと年を取っていたり、ずっと幼くなっていたりする。
本当は目を瞑って彼女の話を聞いていたいのだけれど、退屈して眠っていると勘違いされると嫌なので、うっすらとだけ開けている。
彼女の静かな声を聞きながら、わたしは演劇の舞台を思い浮かべる。その舞台の上で、いろいろな彼女がいろいろな役割を演じて見せている。薄暗い劇場のスポットライトを浴びて、わたしというたった一人の観客に向かって演技をする。
今日はどんな舞台になるんだろう。わたしがこの時間をどれだけ楽しみにしているのか、きっと彼女は知らない。