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【推しの子】が完結した

【推しの子】が完結したので、物語全体を通しての感想を書く。
なお、最終回に向けた【推しの子】の感想についてはこちら。

ネタバレを思いっきりするので閲覧注意

【推しの子】は点で見るもの

【推しの子】は面白かった。
突拍子もなくアイドルの子供に転生し、ただの「憧れのアイドルの子供!!人生チョローい!!」みたいな感じじゃなくて、
アクアを通して登場人物たちが抱えた痛みや悩みと向き合っていく人間ドラマを見ることができたのが良かった。
登場人物たちの心情が生々しく描かれたシーンの時、私はこの漫画の1番の魅力に触れることができたと感じていた。

母親から虐待をされ、嫉妬からいじめに遭い、愛を求め、本音を隠してアイドルを続けていたアイ
自分の病気と向き合ってくれなかった母親への寂しさを持ち、病室の外で生きられることの喜びを感じているルビー
自分の価値は子役としてお金を生みだすことであると子供ながらに悟らされた有馬
憧れの人から芸能界の汚い実情を伝えられて絶望したり、期待に応えようと苦悩したあかね
アイドルを夢見て労働に明け暮れてきたMEMちょ
芸能人として売れる夢を諦め、なし崩し的に2児の母となり所属事務所の社長業をこなしてきたみやこさん
原作を改変してメディアに流されることへの葛藤を抱えた原作者や、脚本家
パワハラの連鎖による苦しみを抱えたスタッフや出演者
15年の嘘の中で描写された、男女関係なく性を消費されることの悔しさと歪みを抱えた姫川さんのお母さんとカミキ

有馬の卒業発表に放心していたファンの描写すら、"自分の推しを失う悲しみ"という感情が伝わってきて魅力的だった。

そう、推しの子は要所要所で見ると、最高に心が震えて面白いのだ。

【推しの子】はどういう物語だったのか?

【推しの子】は最初、極秘出産をしたアイドルが母親としての愛を探す物語だった。

しかしアイが死んでからは、
母親(転生前の生きがい)を殺された子供の復讐物語であり、
ヒューマンドラマであり、
母親を死に追いやった真犯人を探すミステリーであり、
芸能界を舞台にしたお仕事漫画であり、
早くに病室でなくなった女の子が新しい人生をもらって生き直す話であり、
トップアイドルを目指す女の子たちの物語であり、
高校生の恋愛ものでもあったと、私は思う。

しかし完結した時に思ったのは「心の闇の連鎖」を描いたニューマンドラマだったのだと感じた。

よくよく考えれば、心の闇の連鎖はずっと一貫して描かれていた。

アイの美貌に嫉妬して虐待された愛を知らないアイが、自分の存在を肯定するために嘘を愛だと定義して本音を隠すようになった

自分の彼氏がアイの狂信者になったことに傷ついたニノは、自分の心を守るためにアイには絶対的な存在で決して敵わない存在で居続けてもらわないといけないと考えるようになった

性的搾取をされた中で心が壊れてしまい、自分自身を保つために次は自分が搾取する側になった姫川アイリ

そして、姫川アイリのターゲットになったカミキも心が壊れてしまい、自分を追い詰める選択しかできなくなってアイを傷つける行動をするようになった

天才子役として周りがさんざんもてはやしてきたのに、旬が過ぎると見向きもされず、適切な教育を受けることができなかった結果、精神的かつ常識的にアンバランスさのある成長を遂げた有馬

生まれつきの真面目さ故に、アクアに1度救われた後はアクアの抱える闇に触れて自分の命をかけて救おうとするようになり、芸能界で生きる中で本来なら泣いて嫌がってもおかしくないことでも「そういうことね」と表面的に受け入れてしまうようになったあかね

憧れのアイドルであり、母親でもあるアイが自分のすぐ側で死ぬという衝撃的な体験をして復讐と自分の新しい生活とで揺れ続けることになり、どこか自己肯定感のないアクア

そして何より、ママと同じにはならないと言っていたのに結局は「アイドルは嘘に嘘を重ねる仕事」だと定義するようになったルビー

恋愛リアリティショーの、番組が盛り上がれば出演者がどれだけ叩かれてもOKという描写も

俳優を売り出すためのドラマ化だから、原作者の意思や意見は関係ないという描写も

おっさんには理解できないコスプレという文化を軽視して、テレビに出してあげるのだからどんな扱いをしてもOKという傲慢さも

心の闇が闇を振りまき、闇に触れた人が感染していくというのがずっとあったように感じた。

「リアルって、こんなもんでしょ」という見方

私はこの物語の結末を見た時に感じたことは「リアルって、こんなもんでしょ」ということでした。

アクアは1人で色々と暗躍したつもりでいた。
もちろん、当初は本当に1人でなんとかしていた。
あかねを救うアイディアを出したのも、有馬のダメダメドラマを何とかしてくれたのもアクアだった。

けど、中身が大人であっても高校生1人でできることはたかが知れていて、途中からは、いつだってあかねに助けられていた。
中でも、ルビーを守ったのはあかねだと思う。

けど、高校生なのだからメンタルがブレるのも、1人では復讐という大きなことを成し遂げられないというのも当然なのだ。
復讐をしたら罪に問われるのが今の世の中で、芸能人として名と顔を知られている自分には荷が重くなる。
どれだけ上手くやることを考えても、自分では完全には恐らくできないと悟っていたのだと思う。
そして、恐らくそれはアクアにとってプライドが傷つくことでもあったのだではないか。

私は愛する人のために死ぬことが良いことだとは全く思わないので、アクアがアイの復讐と自分の人生を天秤にかけた時の葛藤は当然だと思うし、
現実世界では天秤にかけた結果、自分の人生を選ぶ人が多い。
それがリアルだ。

しかし、アクアは死んだ。
カミキが生きている限り、ルビーの命を狙い続けるから殺すしかなかったという理由で死んだ。

残念ながら、世の中には失うものがない無敵な人という存在は居て、目を付けられたら逃げるしかないという現実がある。
カミキは自分の手を汚さないタイプの無敵の人だから厄介であるということで、アクアはカミキと心中を選んだ。

カミキだけをうまく殺す方向にしなかったのは、まともな人間の精神として、人を殺して自分だけ生きるということに抵抗があったのではないかと思う。

あっけなく終わっていくアクアの命に「何が起こったんだ!?」という唖然とした気持ちになった。
しかし、自己肯定感のないアクアが、ルビーを守るためには"これしかない"と思っていたことに共感をするシーンでもあった。

結果としてそれは独りよがりで「他にも方法はあったよね」と思われてしまうというのが、まさにリアルだなぁと感じた。

私なりにどう解決できるのか考えてみたが、ルビーがアイドルを引退をして表舞台から姿を消し、カミキの興味を削ぐことが1番だと思った。
もしくは、カミキがルビーを殺したがっているという音声を録音して警察に提出するとか…。
けど、それをしたところでしばらくしたら出所するのだから完全に解決したとは言い難いんですよね。

だから、現実的に考えるとルビーの芸能界引退しかないと思う。
だからこそアクアはアイドルに夢を見ていたルビーを守るために死んだのだ。

私たちはたくさんの人と関わりながら生きる中で、ある日突然、何の前触れもなく、勝手に闇を押し付けられることが起こる。
それはいじめとか、パワハラとか、セクハラとか性暴力という形かもしれないし、スマホが普及した今ではネット上で理不尽な目に遭うこともあるだろう。

どうしようもない理不尽に晒された時、私たちの将来を守る1番の選択肢は逃げることだ。
もし立ち向かうには、それこそアクアのように全てを失う覚悟をすることも必要かもしれない。

遺されたキャラクターたち

最後にアクアに遺されたキャラクターたちについて書く。

漫画の中では皆が立ち直ったと描かれていたが、恐らく立ち直っていない。
完全なバットエンドだと思う。

まず、有馬は撮影中に急に泣き出す様子が描かれていた。
これはアクアの死に決着を付けられていない証拠だと思う。
MEMちょやみやこさん、ルビーを励ましている様子から立ち直っていることを示唆されていたように描かれているが、たぶん立ち直っていない。
有馬は、1番現実味のあるキャラクターだと思っている。
だからこそ、他の人を励ます描写を見た時に、自分がピンチになった時に他の人に矛先を向けて自分を庇おうとしている心理描写なのだと感じた。
有馬は精神的に強いキャラクターでもないので、恐らく自分の辛さを他の人に目を向けることで見ないようにすることにしているだけにすぎない。

そして、精神的にかなりタフなあかね
あかねは元々、プロファイリングをしてなりきるという演技スタイルを取っていることもあって、どこか本人の感情が見えないように描かれていた。
特に私が引っ掛かったのが「夜中にお酒を飲んでいる場に呼び出されて、キャバ嬢みたいなことをやらされる」ということを笑顔で言っていたことだ。
恋リアで登場したあかねは、絶対にそんなことを言う子ではなかった。
"覚醒"という言葉を用いられ、冷静で器用な人間として描かれるようになったあかねは、恐らく反対に、他人の思考をトレースするために感情を抑えつけて他人との境界線を薄くした結果だと私は感じている。
だから、アクアが亡くなった後のドッキリのシーンでは怪物に驚くことがない描写がされていたことにも納得している。
あかねの心理状態としては、悲しいと感じたら自分が壊れるという防衛本能が働いて感情が鈍くなってしまったのだ。
これもまた、内向的な人が自罰的に、自分だけで解決しようとする時になりやすい状態なので、本来のあかねに合致した描写だと感じた。

反対にMEMちょやメルトは、正常な感情の働きとして悲しいという感情を味わいきったような描写がなされていた。
完全に立ち直ったような描写はなかったが、しこりなく立ち直ることができるのはこの2人だと思う。

そしてルビーは、恐らく立ち直らないと決めたのではないかと思う。
"立ち直る=痛みを忘れる"という感覚があって、それだとアイもアクアも過去になっていく。
それが、今のルビーにとっては耐えがたいことなのではないかと感じた。
何より、アイがアクアが死ぬきっかけの1つにもなっているから憎しみを感じたり、けど大好きなアイドルで母親だし、殺したのは父親だし、けど自分には転生前の記憶もあるから完全な家族とは…?という複雑な感情の処理を1人ではできなくて当然だと思う。
恐らく、ルビーは感情を処理しきれなくなった結果、立ち直ることは諦めて引きずって生きることが自分の使命だと考えたのではないだろうか。
「普段は笑顔を振りまき、必要な時に闇を見せる」という使い分けをするようになっこと、またその使い分けをできるようになったルビーだからこそ人気を得ていると言いたげな、あかねの語りからそう思った。

「大衆は星野ルビーの物語に興味を惹かれている」と綺麗な言葉が使われていたが、ルビーの心中はそんな綺麗なものではない。
というか、綺麗なもので人を惹きつけることはできないとルビーが悟ったのではないかと、こちらの胸が痛むような想像をするところまである。
自分のありのままでアイドルになる!!と言っていたルビーが、アイと同じようになってしまったのが、まさにそういうことなのだろう。

芸能人だけでなく、私たち社会人は「辛いことがあっても表情に出したら仕事に差し支えるから控えなくてはいけない」という感情を隠すことを押し付けられている。
本来なら、それがどれだけ不自然なことなのかがルビーの様子からひしひしと伝わって来た。
私たちが暮らす中で作られている"空気"というものが、人をどれだけ抑圧し、闇を生みだしているのかということを感じさせられた。

ルビーの物語に興味があるという意味の中は「こんなに辛い思いをしたのに頑張っている子」として大衆から崇められるようになったということが含まれていると思う。
ようは、自分に辛いことが起きた時に「この子よりはマシ」「この子も大変な思いをしているから自分も頑張ろう」という支え石になったのだ。

そういう存在として生きていくというのは、一体どれほど辛いことなのだろう。

作中で1番の被害者である姫川さん

姫川さんに関しては、アクアと出会ってしまったことで人生を1番狂わされた人だと思う。
ルビーは子供だから仕方ないと思うが、アクアに関してはもっと姫川さんに配慮するべきだったと思う。
せめて映画の中で姫川さんのお母さんの名前を出さないとか、姫川さんを復讐に巻き込まないとか。
自分の母親は性犯罪者であり、そのせいで殺人者が生まれてアイが殺されたなんてことを世間に知られて、姫川さんだって多くの誹謗中傷を受けるだろう。
あかねや有馬には配慮するのに、姫川さんに対しては放置。
最終回でも茫然と自分の両親の墓参りをしている姿を見て、この人は燃え尽き症候群的な、抜け殻になってしまったのだと感じた。
俳優として、個人としての人生を1番潰されたのは姫川さんだ。
この描写を見ていると、いつだって声の大きな人が勝手に決めて周りを巻き込んで、後始末はせずに投げっぱなしという、学生の嫌なノリを感じた。

けど、それもまたリアルだと感じた。
いつだって、自分の身を守れるのは自分だけなのだ。

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