伏見稲荷大社で起きた不思議な偶然
今月も眼力社への参拝のため、伏見稲荷大社へお参りに行きました。
眼力社へ向かう途中に伏見神寶神社へ続く道が出てくるのですが、今回はこの伏見神寶神社で不思議なことがありました。
伏見稲荷大社に参拝した際は、天照大御神をお祭りする伏見神寶神社に参拝後、社の裏側にある稲荷山遥拝所でたけのこ石に手をかざすことをしています。
今回参拝した際に、初めて稲荷山遥拝所のたけのこ石の前で長く祝詞かお願い事をしている姿を見ました。
その人が終わるまで後ろで待っていたのですが、お願いごとを終えたその人から、声をかけられました。
自分の抱える悩みへの回答?
私はまた、自分の抱える恨みの感情が爆発しそうになり、自分でもどうしてよいのか分からない状態で参拝をしました。
声をかけられた人に、どんな悩みを抱えて参拝に来たのかは言わなかったのですが、稲荷山遥拝所がどんなところなのか説明してくれた後に、
突然「恨みの感情が湧いてきたら、〇〇さんを恨む自分を許します」と言うと恨みは消えるよと言われました。
恨みは根を張るから、もうないだろうと思っても出て来ることがある。
だから、何度も言い続けるんだよ。
笑顔でいると人が集まって来る、そして集まって来た人が運を運んでくるんだよ。
悪口を言われても「あの人がそんなことをいう訳がない。私はあの人が大好き」だと言って自分は笑顔で相手に接していると、悪口は自分の居場所がないと思って相手に跳ね返るよ。という話をされた。
その時、私は思った…
な ん で 私 の 悩 み に フ ィ ッ ト し た 話 を し た の だ ろ う ?
その人と話をして、私は少し心を落ち着けることができた。
ただその後に眼力社を参拝する時には「今抱えている恨みから解放してほしい、自分の人生に集中したい」と自分の抱えている気持ちを吐露してきた後は、また恨みの気持ちが沸き上がってきて仕方なかった。
あんなにいい話をしてもらって、自分も取り入れようと思っても、すぐに恨みが消えればここまで悩んでいないよな…と、自分のことながら恨みの深さに驚いた。
救われたこと
私は昔、どんなに理不尽なパワハラを受けたりしても、絶対に相手と同じ土俵には立たないと思って表向きはちゃんと対応していた。
それが今になって、もっと怒り散らせばよかったという後悔になっている。
向こうが暴論を飛ばしてきたのだから、こちらだって「ふざけんな」と怒鳴り返せば良かったと、すごく悔しい気持ちがある。
けど、その人の話を聞いて、悪意に悪意で返さずに、私はちゃんと大人として対応していたのだから、きっと相手が私に散々ぶつけてきた暴言は相手に返っただろうし、私が何か損をすることを防げたのかもしれないと少し思うことができた。
他にも色々な話をしてもらったのだけど、が「神様に歓迎されているから、願いが叶うかもしれないよ」「白い服が似合う人は心が綺麗な人だよ。あなた似合ってるよ」と言ってもらえたのが嬉しかった。
家の掃除と、できるだけ家では笑うこと、そしてできるだけ恨みの感情がふつふつとしてきたら「〇〇さんを恨んでいる私を許します」と唱えることにします。