『愛されないことより、誰も愛したことがない人の方が可愛そうなのよ。』
今日は久しぶりにゆっくり親友と過ごした。
親友はいつも私を当日や前日に誘ってくれる。お互い予定があることが好きではないからだろうと思う。
今日はインスタグラムの料理研究家が紹介していたそうめんのレシピを作って待っていてくれた。
私はエクレアをもっていった。
そうめんとエクレアを食べた後、親友はオリンピックを観て私は韓ドラを見ていた。
オリンピックに関して書いておくと、子どものころからNHKの朝のニュースで結果とハイライトを見るくらいで観戦をしようとテレビの前に立ったことは一度もない。
そんなんだから、親友が観戦していて感動したり驚いたりしていてもほとんど共感ができない。そんな私でも一緒にいてくれる彼女に感謝だなって改めて思った。大切にしたい。
いま以上に大切にしたい。
でも私は彼女を親友として大切にすればするほど、恋人の必要性がわからなくなってくるし、親友はこんなに大切に扱えるのに私は恋人となったら途端に何の感情も伝えられなくなってしまう。
そんな自分が嫌になってしまう。
私はほかの人とどこか違っていて、他の人が持っているものをもっていないのだ、と。
「誰にも愛されないことより、誰も愛したことがない人の方が可愛そうよ。」
という言葉を聞いたことがある。そのかわいそうな人が私なのかもしれない。
いまは、アクセシャルだと思って生きているけどいつか"誰か"と出会って感情が芽生えるかもしれない。
そんな淡い期待を持ちながら、欠陥品な自分を恨む。
ずっとアクセシャルかもしれない、ずっと誰も愛せないかもしれない。そんな不安が私を押しつぶす。
もっと書きたいことはあるけど、明日も仕事があるから早く寝る。おやすみなさい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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