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22歳女子大学生、恋がしたい。

なんとなくすぎる日々に、彩りを与えるような。
誰かを想って、うきうきしてドキドキしたい。

tiktokで見つけた動画の言葉にとても惹かれたので残しておく。

「なんとなく学校行って、なんとなく人と合わせる。なんとなく笑顔を作って、なんとなく疲れる。生きづらい世界だな…ほんと。死にたいんじゃない、初めからいなかったことにしたい。心が綺麗な人ほど、虐められる世界に疲れてしまっただけだから。」@天宮_音羽

「なんとなく」って意識しないだけで日常に溢れている行為だと思う。自分の意志で決めれずに人に合わせたり従ったり。

この自己決定じゃない行為に伴う「なんとなく疲れる」っていう気持ちがどんどん募っていて、いつの間にか自分が見えなくなってしまうような感覚。

そんな感覚を「恋」って消してくれるような気がする。

「なんとなくの疲れ」には「確実な嬉しさ」や「確実な事象」を与えてくれるから。

なんとなく疲れていても、好きな人や推しが普段あだ名でしか呼ばないのにいきなり下の名前で(しかも呼び捨て)呼んできたとか。※

"確実な"感情の動きや出来事が、"なんとなくな"疲れを癒してくれる。

だから私は今無性に、恋がしたい。

恋をして、ウキウキしたい。そしたら「目が合った」とか「挨拶できた」みたいな小さなことで一日心の口元は緩みっぱなしになってくれる。


ふと思い出した。

「人間は恋と革命のために生まれてきたのだ」

っていう太宰治の『斜陽』ででてくる名言中の名言。

すこしわかった気がする。まだ言語化ができないけど。
また読み返してみたいと思った。

私は、太宰治を読むとき宇多田ヒカルの「初恋」を聴く。なんとなく儚さや恋の辛さがマッチしている気がして。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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