【ゲーム日記】「アトミックハート」を楽しめるのは自分だけという感覚。
「誰もが自分だけが解けたと思わせる謎解き」
ファミ通で「ゼルダの伝説 時のオカリナ」に、そんな名文句が贈られた。
ファミ通のクロスレビューって得点ばかり目立って、ことばが無視されがちだけど
「誰もが『自分だけが解けた!』と錯覚してしまう難易度」
って、ゲームへの最大級の賛辞じゃないかと思う。
フロムソフトウェアのいわゆる死にゲー。SEKIROとかダークソウルって、「そういうこと」だ。
強敵を倒したあとに、ここまで行けたのは自分だけじゃないの!?と思わせてくれるゲーム。
自分はそこそこにゲームがうまくて繰り返しトライしたからかろうじてここを突破できたけど、その先のこんなリッチな空間を体感できるのは俺を含めたごく一部でしょ?いいの?俺にだけこんな上等なおでむかえをしてもらっていいの?
そういう感覚があるものが「特別なゲーム」になる。
音楽でも文学でも、これは自分にしかわからない!ほかのひとはわかったつもりで表面しかわかってない!と思わせてくれるものが、その人の「特別」になる。
それはそれでおいといて、Xboxでアトミックハートというゲームをやっているんだけど俺ひとりしか楽しんでない気がする。
単純に次の行き先が分かりづらいとか、細かい不親切でやめている人が多い気がする。初代プレステまでのRPGで、よく雑にテキストを読み飛ばしてたら次の行き先がわからなくて、作り手が意図してないなんでもない箇所で詰まるのがよくあるけど、アトミックハートも同様のことが起きる。
次に行くべきドアがなぜか閉じてる!
開けるためには、一旦回り道してわかりにくい場所にあるコンピュータを見つけてハッキングしてわかりにくいドアを開けるように指示して、わかりにくい通路に進んでいったらわかりにくい物語が進む。
劇場。バレエを踊る女性がすべて女性型ロボットに置き換えられていて、妙になまめかしいボディで案内してくれる。
最初は「これちょっとエロく感じてしまうの俺だけ!?」と思ったけど、
ゲーム世界内でも、どうやら人間よりロボットに性的に興奮する人間が多くなって、人がないがしろにされていく過程が記録されている。
アトミックハートの架空のソ連という舞台。プレイステーション版は遅れて出ること、吹き替えはあとで追加されること、暴力表現、主観視点による酔いなどなど、ゲーム配信に向いてないから「流行っている感じ」が出なくて、自分が発掘したゲームみたい。
今のじぶんに、現在の日本に生きているという感覚はほとんどない。休日はずっとパラレルワールドのソ連にいた。はたしてどっちが現実なのか。外出したらロシア語のポスターと暴走したロボットが溢れて、ゲームの中に2023年の日本があったりしないか心配だ。おお、アトミックハート、まだクリアしてないけど今年のベストはお前だ。
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。