【マンガレビュー】変えのきかない顔面力。山田芳裕「望郷太郎」1
20年代に初めて買ったマンガ「望郷太郎」。
オビの文句は「人間五百年」だった。
「へうげもの」の織田信長が人間五十年だった。そのつぎに描くのは、太く短く生きた男じゃなくて、時間をかけて生きることを選んだ男だ。
山田芳裕作品は、スポーツゲームの隠しキャラに「デカスロン」の主人公が出たらしいとか、「度胸星」がメチャクチャ面白いのに打ち切られたらしいとか、本屋で「へうげもの」が視界に入ってくるとか、ニアミスを繰り返してきた。
イメージは、他人が手を出してないジャンルを、パワーで切り開いていく漫画家だ。
「望郷太郎」は、主人公の実業家・舞鶴太郎が500年間のコールドスリープから目覚める場面から始まる。
実験段階のコールドスリープに家族を付き合わせたのに、氷河期で壊滅した地球をたったひとり生きのびてしまった。
全てを失っていったんは自殺を考えた太郎の生きる理由になるのは、ただひとり死体を見ていない娘はどうなったのか、日本がどうなったのかを知りたい気持ちだった。
山田芳裕の描く顔は、感情のないときの陶器みたいな不気味さと、グワッと感情を出したときとで全然違う。旅の過酷さは、ボロボロの足元と圧倒的な顔面で表現される。語彙はいらない。目は落ちくぼんで、髪はみだれ、社長からホームレスを思わせる風貌でついに倒れたところを拾われて、38年の人生でいちばんうまい肉にありついて、ものすごい「顔力」を発揮する。
実業家時代は、のっぺりした、いけすかない奴だった太郎が、グシャグシャに泣き、歩いて飢えてボロボロになって、メシ食ってブワワアアアアーッ!と涙が散弾銃みたいに放たれる。「顔」の漫画だ。
エリート時代に知らなかった喜びや恐怖を感じると、のっぺりした顔の殻が割れて、喜怒哀楽が胸から顔に突き抜けて、ほっぺたを波打たせて顔から放たれる。
顔芸が披露されたときは、「この人は今、ゆとりある社長時代では知らなかった生の衝撃を受けてますよ!」というサインだ。
生存太郎でもなく安定太郎でもなく望郷太郎なので、旅の話が2巻以降もつづくのだろう。
じっとしているより体を動かして生きる話という点は、スポーツ漫画からぶれていない。
読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。