「バッタを倒すぜアフリカで」買って風呂だ
深夜のおやつに罪悪感を感じたことはないけど、無駄な休日の使い方に罪悪感がある。
こどもの頃の休みの日は、全部おいしいごちそうのようなもので、起きた瞬間から楽しさしかなかった。
大人になってから、休みの日の無駄使いに罪悪感をおぼえるようになった。
平日と違う場所に行く。初めての映画や料理などを知る。友人などと触れ合うなど、有意義っぽいことをしないと、夜に憂鬱になる。
仕事の日に体が疲れて、休みの日に心が疲れる。最悪だ。
ゲームと睡眠が好きなはずなのに、この2つを有意義だと言い切れずに読書、映画、運動のほうがすこやかに明日を迎えられる自分がいる。
なんとか布団から抜け出して、夕方に書店をまわって欲しかった本を買った。
風呂で読むことにした。
そんなの濡れるじゃないか、ふやけるじゃないかという声もあろう。防水処理をして電子書籍にすべき、という声もあろう。
たしかに濡れることもある。
だが、濡れたり書き込みを入れれば売ることを考えずにずっと持っておくしかなくなる。
風呂に持っていくというのはむしろ、この本は手放さないだろうなと思ったからできる行為なのだ。
愛なのだ。
前作は表紙のインパクトで笑わせてきたが今回は分厚さで笑わせてきた。
バッタ学の説明に入る前の、
「びっくりするぐらい日常生活には役立たない情報だが、この本を手に取った時点で覚悟はできていたはずだ」
という一文が美しすぎる。
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読んでくれてありがとうございます。
これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。