東京日記4(22日目)
※注意
『A子さんの恋人』のネタバレになることが多少含まれています。
乾いた心を潤すべく何かを作ろうとするがそれは時に苦しく、私にとっての泉は創作以外の人と人とのコミュニケーションであることも多い。絵を描く人、映画を撮る人、詩を作る人もいるなか、私は誰かと話すことによって世界の謎を解き明かそうとする人であったかもしれない。それはさみしがりということでもあるのだが、まぁそれでもいい。
『A子さんの恋人』を読んだ。私は歳をとったことに気づいた。自他の境界が不分明であった頃、人との交流はまさにアドヴェンチャーであって、自分という迷路に迷い込むことであった。刺激と試練、高揚と幻滅があった。
ここ数年で私に少し変化があったとすれば、自分というものが他人と混ざり合っているのではなく、自己と他者は互いに互いを投影させながら存在しているということに気付いたこと。他人という鏡に映った私も私であると認められるようになったこと。A子さんは最終的に鏡を割らなければいけなかったが、それは一つの鏡しか持たなかったからではないだろうか。
であるから、少し他人との接し方も変わっているのかもしれない。しかし、それでも恐らく根本の、人との交流によって世界を知っていきたいという姿勢はあまり変わっていないように思う。