2023.7.13日記(女流義太夫)
二人とも人間国宝である竹本駒之助師と鶴澤津賀寿師の『生写朝顔話』(宿屋・大井川の段)をアーカイブで見た。御二方ともご健在で、今日本で見れる義太夫の頂点だと思う。多分、女流とか関係なく、文楽の義太夫を入れても頂点だと思う。
ふとしたことから恋仲になった深雪と宮城阿曾次郎。その後不幸にも重なり離れ離れとなり、秒速5センチメートルかってくらいすれ違う。不運が重なり盲目の瞽女となった深雪の前に、阿曽次郎が現れるも、立場が邪魔して名乗ることができない。阿曽次郎が去ったのちに手渡された扇に描かれた朝顔により、深雪はたった今目の前にいたのが生き別れた彼であったことを悟る。その時の感情の爆発具合が最高にすごい。同じ語りの芸でも情景描写が得意な講談や浪曲と比べ、感情のほとばしりは義太夫が圧倒的だ。演じてるのではない、型をやっているのだ。悲しみの型を。だからその人物になりきったりはしない。演じていないから嘘くさくならない。悲しさを演じようとするのではなく、悲しみの型を完璧な練度でするから、その型から自然と悲しみが溢れ出してるということか。
型を自分の身体に染み込ませたい。稽古が大事なんだよ、やっぱり。