性別とはなにか
性別変更要件が変わった。違憲判断が下った。
しかしその前に、そもそも性別って変更できるんだと驚いた人もいるだろう。性別とは産まれた時に決定している身体的なものであって、変更不可能だと思っている人が多いと思う。
それはある側面から見れば正しく、ある側面からみると間違っていて、ある側面からみると無理矢理変更できるようにした制度があるということがわかる。
現代において性別とは身体の、それも外性器の形状以外になにがあるのだろう。染色体? ホルモン値? 脳の配線の違い などなど、身体的といっても、外性器だけが性別ではないということがわかる。
社会では、スカートはいてれば女性、ズボンだったら男性と区別していたけど、いまでは多くの女性がズボンをはいている。髪型だってそうだ、長ければ女性、短ければ男性と区別していたけど、いまではショートカットの女性も多いし、ロングヘアーの男性だっている。
そもそも性別が必要な場面って、出生率を計算する統計データや、女性の進出が少ない理由などを調べたりぐらいしかおもいつかない。世の中男女平等だ、そういう統計データ以外の目的で、性別で区分必要性自体がない。
それでは性別とはなんだろう。現代ではSOGIESCという考え方で次のように分類する。
性的指向:好きになる性別
性自認(性同一性):自分のアイデンティティとなる性別
性表現:社会に対して表現する性別
割り当てられた性(身体的性別):出生時に助産婦または医師が割り当てた性別(外性器の見た目)
性自認は自己認識だが、性表現は他人が認めて初めてその性別といえる。この2つを組み合わせて社会的性別と表現しよう。社会的性別といえば、ジェンダーという表現が思いつくが、ジェンダーにはさらに性的指向や、表現だけに伴わない社会とのありようが関係する高度な概念とおもってくれるといい。詳細を書き出すとそれだけで長文になってしまうから、ここではこの程度の表現にとどめる。
割り当てられた性(身体的な性)と、性自認が一致しないことを、性同一性障害と言っていた。文末でわかるように、これか過去系である。現在の2004年に決められた、性別を特別に変更できるルールである法律にはまだ性同一性障害と記述されているが、国際的にはWHOのICD-11やアメリカ精神医学学会のDSM-5によると、障害という病理がら外され、性別違和や性別不合という呼称にかわっている。
ようするにすでに国際的に遅れている性同一性障害にかんする特措法には以下の条件があった。
18歳以上であること(子どもには判断できないから)
結婚していないこと(同性婚になってしまうから)
未成年の子どもがいないこと(子どもが混乱するから)
生殖腺がない、または永続的に欠く状態であること(子どもができると混乱するから)
変更後の外観であること(お風呂等でびっくりするから)
と言う条件があった。4.5をクリアーするには手術をしなければならず、性別を変更するために、法律で手術を強制するのは違憲であるという判断が下された。優生思想による「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」の侵害とかんがえれば当然の判決だ。
そして4号はそのまま違憲判断、5号は社会的影響を考えるため高裁差し戻しとなった。
とはいえ、手術自体が違憲判断であるため、5号も関連法案での調整が終われば早いうちに違憲となると言われている。ようするにお風呂は施設管理者の判断で水着を着るとか、入ってはいけないとか個別判断をされるということになるだろう。
さて、前置きが長かった。
いくら法律が変わろうが、身体的性別かかわらない。
かわったのは戸籍における性別が身体的性別から、社会的性別にかわったのだ
社会的性別は変わることができるのだから。
手術をすでに住ませた人たちが今回の憲法問題に反対しているが、申し訳ないがそれは形成外科による形状変更をされただけで、社会から望む性別として認識されるために努力していることとは別のことだ。
手術をしたら見た目の性別が自動的に変わるなんてない。だから手術をしていることで自分は社会から特別に認められているのだという考え方は間違ってる。手術は性別を変えるためにおこなうものではなく、身体とアイデンティティのギャップに違和感を感じる人だけが行うものになるだろう。
これから、より社会的性別が問われることになる、それはなにもルッキズムの議論ではない、しぐさ、らしさ、社会問題をかんがえるには、フェミニズムや男性学への理解と実践も問われるだろう。
社会的性別が問われる、すなわち性他認がとわれる時代は、単に手術をすれば印籠が貰えてた時代より厳しくなるだろう。脱病理してしまった以上、病院での診断書の効力もどこまであるのかわからず、だれがその性他認を認めるのだろう。ウィッグをかぶってパートタイムで切り換えるとか、もう無効になるのかもしれない。
法律は変わった、しかしそれはより厳しい方向にかわったのだ。そう認識する必要がある
これからは戸籍は戸籍、違和感は違和感になるのだと思う。それが人権なのだから。わたしは違和感を手術で取りのぞくことを否定しない。その火を消してはいけないと思う。保険適用へ進めるべきだと思う。
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