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ナラティブの倫理

ナラティブ(narrative)とは、「物語」「話術」「語り」といった意味を持つ言葉です。ビジネスの現場では、「ナラティブマーケティング」「ナラティブアプローチ」といった形で使われ、相手(顧客や部下など)視点での物語を重視することで、問題解決に役立てることを目的としています。語義的には「ナレーション」もナラティブと同義です。

もともとは1960年代の文芸批評、フランス構造主義を中心に物語の役割への関心が高まるなかで、後述する「ストーリー」と異なる文芸理論上の用語として定着したと言われています。

似た英語として、「ストーリー(story)」があります。「ストーリー」は物語の内容や筋書きを指します。主人公や登場人物を中心に起承転結が展開され、聞き手や語り手の存在は意識されません。

一方、「ナラティブ」は語り手自身が紡ぐ物語です。主人公は語り手であり、物語は変化し続け、終わりがありません。両者の違いは、「主人公は誰か」「完結しているか」といったニュアンスにあります。

なぜいまナラティブが注目されるのか

それは、SNSの普及によってナラティブの共有が世の中を動かすようになったからです。

たとえば、2017年に有名になった #MeToo や、その影響を受けて日本で流行した #KuToo といったハッシュタグの例が挙げられます。これらのハッシュタグによって個人のナラティブが共有され、SNS上で大きなムーブメントを生みました。

市井のフェミニストによるこうした動きは、後に社会を変えるまでになり、マーケティングや広報戦略にも取り込まれるようになります。しかし、広告やマーケティングのプロがこれを利用することが、倫理的に適切なのでしょうか。

ハッシュタグを広告に利用し、消費者に投稿を促す手法も増えていますが、恣意的に集められた断片的なナラティブが、業者によるストーリーにすり替わり、大衆扇動の道具になる可能性があります。

ナラティブの倫理とデザインの倫理は同じ

ナラティブは物語そのもの、デザインはそれを入れる器と言えるかもしれません。物語と器は互いに溶け合い、入れ替え可能なものです。

どんな物語を紡ぐにせよ、そこには倫理観が必要です。とある選挙広報の会社のブログ記事を読んで、そう思いました。それは、多様なナラティブを受け入れる環境の構築から始まるのではないでしょうか。

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