【世の中のすべては自分自身である】その理由とは?
このあいだの記事に書いた通り7月18日に地元の駅前商店街でイベントを行うことに!
私はイベントの実行委員長という大役を仰せつかり、ただいま毎日毎秒右往左往している。
いままでにもいくつかのイベントを主催してきてはいたが、今回はまったく毛色がちがっていて正直とまどっている部分も多い。
どういうことかというと、一緒にイベントをつくりあげてくれる実行委員のメンバーが飲食店を複数店経営しているオーナーさんたちだからだ。
(この新潟の片田舎で飲食店を複数店舗、経営できるのは波の努力ではできない)
きっと私がいままでにみたこともないような修羅場をくぐり抜けてきた猛者のみなさん(今回のコロナ騒ぎがまさにそれ)。
そういう人たちと一緒にイベントをつくる経験はいままでなかったのでシンプルに興奮すると同時に、彼らが背負っているものが透けてみえる瞬間があって背筋が伸びる。
わかりやすいところで言うと、決断が圧倒的に早い。
オーナーの肩には彼らの家族やこどもだけじゃなくて、信頼してついてきてくれているスタッフの家族のこどもに対する責任も少なくともあるわけだ。
船長のとっさの判断ミスで船ごと沈んでしまうことも……。
彼らはそんな重圧と来る日も来る日も戦っているんだなぁ、という緊張感が伝わってくる。
たまに伝染してくるしね。
そんな環境に身を置けることに対して、ありがたい気持ちでいっぱい。
と、ここでひとつ話を飛躍させると、やっぱり人間って「環境」に強く依存する動物だとあらためて想う。
ヤンキーと一緒にいればヤンキーっぽくなるし、お嬢様グループにいればお嬢様キャラにならざるをえない。
自分が「すごいなー」「尊敬できるなー」という人と一緒にいれば、自分もそこに近づかざるをえない。
つじつまが合わなくなる。
人間が、つじつまが合わない環境に対しても強い拒否反応を起こすことがわかっている。
お葬式にひとりだけ真っ白いワンピース着たり、TシャツGパンでいくことを想像して欲しい。
すごい人と一緒にいて違和感を感じる(いまのままでいいのか)
でも、その人は自分のレベルまで落ちてくることはない(そりゃそうだ)
だったら自分から上がっていくしかない。
そんな環境に自分をもっていうことができれば、毎日がメタルスライム倒し状態でござる。
この塔のこの場所(環境)で戦うことを勇者は選べるのであーる。
あとはひたすら鍛錬あるのみ!
もちろん生まれた場所など、ある程度の環境の縛りはある。
けど、この令和の時代にそんなハンデはハンデじゃないと思わない???
新幹線もある、飛行機もある、なんでもあるじゃん。
ZOOMを使えば世界中の人とコンタクトがとれる。
すべては自分次第。
自分自身が選ぶことができる。
死ぬほど話がそれましたが、そんなことを伝えていければなぁ……と日々夢想している毎日でござーる(^−^)!