取り戻すかのように
2021/7/29 14:53
7年間の東京生活を畳み、地元宮城に戻ってきました。まさか、自分が宮城で生活することがあるなんて!人生は本当にどうなるかわからない。フリーランスになって早2ヶ月。どこでも自分が大好きな仕事ができる。これがあったから、戻ってこられた。
1番大きな理由は、東京にいる意味を感じられなくなったから。コロナがあり、日々色々なストレスにさらされて、敏感になっていて神経が疲れたし我慢が限界に達した。仕事を辞め、どこでも働ける状態になってから仕事は個人でやりたいけれど、暮らしは誰かと共にしたいという気持ちが大きくなった。本当は夏に恋人が東京に来る予定だったからそこまで我慢しよう。そう思っていたけれど、お別れしたから、とうとう本当に東京にいる意味が無くなった。
宮城に帰ろう。そう決めて、家族に伝えた。家族は快く承諾してくれて1週間後には宮城に引っ越してきた。
東京の家を引き払うとき、何の感情もなかった。ここの前に5年住んだ家からこの家に引っ越してきたときは色々な思い出が蘇って名残惜しいような、自分の成長を誇らしくなるような温かい気持ちだったんだけれど、この家の思いではほとんど"一人でこもっていた時間""我慢""忍耐"。そんなのばっかりだったから、何の感情も湧いてこなくて事務的なお別れになった。唯一、親友と離れるのだけが悲しかったけれど親友と宮城に帰って来る前に会えてじっくり話せて幸せだった。
やっぱり、人がいてくれるから東京生活が楽しかったんだ。コロナになる前の東京は最高に楽しかった。いろんな場所に行って、いろんな人と出会った。刺激的だったし、東京にいる意味とか考えたことすらなかった。
でもコロナになって家と仕事場の往復以外に外出しなくなって人にもそこまで会わないようにしてひたすら修行僧のように"韓国語の勉強"をして、経済的な不安も相まって"副業を育てた。"恋愛は結局1年半以上も会えないまま、どうすることもできなく付き合い続けたけれど気持ちの限界がきて別れた。虚無感しかなかったけれど、きっとこの時期に、お互いが必要だったし、成長させあえたと思う。
実家に帰ってきてからは、今までの溜まりに溜まったものを発散するかのように楽しんでいる。楽しい。
まだ帰ってきてそんなに経っていないけれど、
・川が見えるカフェに行ってランチ
・映画
・朝日を見に海→朝市でかき氷を食べる
(朝7時に車出してくれた友達よ、ありがとう。)
・ばあばんちに行く
・映画を見に行く
等々、我慢していたことをして本当に幸せだな〜って感じている。これでこそ、人生楽しいんだ!!!って。仙台は7年前よりだいぶ発展していて綺麗だし、人もそこまで多くないし、なによりコンパクトな感じが今の私にとってとても心地良いんだ。
仕事の面でも、宮城に帰ってきてからのほうが精神的に安心していいエネルギーで働けている。生徒さんに感謝。最近新規の生徒さんが増えて、とっても嬉しい。
韓国語が大好きすぎて、ここまでやってきたわけだけれども最近は韓国語で日本語を教える機会もやってきた。やっぱり、私"韓国語"を使ってもっと仕事がしてみたい!!!英語・韓国語を使って自分にできることをもっと増やしていきたい。最近はそんな思いが強いかな。
宮城を拠点にこれから、日本の各地、海外でも仕事ができるように!そんな自分に磨きあげたいと思います。そして韓国に留学?ワーホリ?かわかんないけれど、その準備もしていきたいと思います。
長くなりすぎたけれど、
宮城での生活を存分に楽しみたいと思います。
家族・親友に感謝を込めて。
Minami
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