釜山留学日記(9)お誕生日
おはようございます。今日は久々の爽やかな晴れ。湿気もなく珍しく
窓を開けながら、気分よく書いていこうと思います。結構久しぶりの投稿だね。
誕生日
8月9日は、26歳のお誕生日でした。その日は、朝は気が赴くままのんびり過ごし、午後に少し仕事をし、夜に友人達と出かけた、何とも完璧な1日でした。26歳は、私が人生で一番苦しかった16歳から10年ということでなんだか節目のような気分になり、午前中はぼーっとしながらここまでの10年のことを振り返っていました。
16歳の私
16歳。10年前の私。
中学まで、成績優秀、部活も成績残し、英語弁論で優勝し、友達もいて、いわば分かりやすく充実している学生だった。環境によって与えられるもの(勉強・部活・友人)に満足していたし、それを頑張ることが楽しかった。違和感なく過ごせた青春。
でも高校入学した16歳。私が進学したのは、県内の進学校。その年から中高一貫になったということで、校内に県内で1番賢いであろう真面目そうな中学生がうじゃうじゃいた。私は、高校になじめなかった。みんなが楽しい!可愛い!といっているものに一つも共感出来なくて、何の為にみんな生きているの?くらいに思いつめていた。休み時間も勉強・勉強・勉強。中学の時は沢山いた可愛い先輩・憧れの先輩もいなかった。その当時の私は、”みんな、ださい。”そう思って、なぜこの”牢獄に閉じ込められているんだろう?”と本気で3年間毎日心で思っていた。高校の人の顔を見て、吐きそうになって早退したこともあったな。
”型にはまれない。集団で生きられない。”
今考えればこれが自我の芽生えだったんだと思う。当時は中学の時に感じたことのない疎外感が苦しくて、それを全て高校のせいにしていた。でもこの、外に対して威圧的な気持ちは、きっと高校が悪かったんじゃなくて、私という人間に合わなかった。今だったら、ただそれだけのことだったと思える。
与えられた環境で、自分が幸せや楽しさを見出せなくて私は毎日本屋に通った。自分がかっこいいと思うものに、自分を癒してもらう為に。中学までは、趣味なんて一切なくて、”あなたってどんな人?何が好きなの?”と言われても言葉に困っていた。でもこの葛藤に満ちた高校時代で自分っていうものをどうにか作ろうと、色々なものに触れたから少しずつ自分の基盤が荒削りながら出来上がった様に感じる。
※この時の私は結構とがっていました。人間は、自分が認められない場所、しっくりこない場所に居続けると周りに対して敵対心を抱えながら生きるので、とがっていくみたいです。
自分の世界をコツコツ作る
与えられたこの気に食わない世界を脱して、どうやったら自分の満足する世界へ行けるのかを真剣に考えて。それで、その手段が、勉強を頑張ることだと高校生の自分は思った。ここから脱出するためには、勉強して自分が思い描く素敵な人が沢山いる、もっと広い世界へ行くしかないんだと。だから、その葛藤を全てをかけて勉強した。そして、晴れて自分が行きたかった大学に合格し、東京へ飛び立つことになった。
高校の時ほど、熱く激しくはないかもだけれど基本的に今もこの考え方で生きている。自分の内面の要望をぴったり叶えてくれる世界を作れるのは、自分。
私はドイツから帰ってきて、海外で暮らしてみたいと思った。もっと色んなものをみたいと思った。職業に対してやってみたいことなんて、なかったけれど、その思いだけは強く強くあった。だから、お金を貯めてそれをやろうとシンプルに思い、英語関連のバイトを探していたら、縁があって正社員になった。(大学4年2月、卒業直前、)
職業で自分は定義づけられない。英語の先生の〜、〜社の〜さん、医者の〜。人間ってもっと色んな側面があって、職業だけでその人は説明できない。職業はその人が今やっている活動の1部分。
今、私は言語を教えることを仕事にしているけれど、これが私の全てじゃない。自分の中に、”自分の時間をこう使いたい!”っていう考えが強くあって、それを叶える時間の使い方の1つがこの仕事なだけ。
私は、本を読みたい。ユーチューブで興味が赴くまま動画を見漁りたい。ブログを書きたい。友達と長いおしゃべりがしたい。ドレスアップして、夜お出かけしたい。デートがしたい。
仕事以外の、自分の人生でやりたいことが、たんまりとあるから。うまく折り合いをつけて、自分の生活に必要なお金+貯金を稼ぎながら、このやりたいことを満たしていく生活を絶賛模索中。今は結構いい感じに、回っている私の経済。
知識
こんな感じで色々な欲求をこの現実世界で叶えるために、勉強することが何より楽しい。フリーランスになる前に、税金や社会制度について本を読んでいた。今も金融の勉強にはまっていて、自分の生活に取り入れることができるものを探している。自分のお金を自分の理想の生活に合わせてカスタマイズした家計簿エクセルシートで管理していくことも、覚えた。楽しい。ゲームみたいで。自由な感性を生かすために、自分の世界を作るために勉強することが楽しい。
勉強の動機は、外にあるんじゃなくて全て中にある。私が基準よ。その基準に合わせて、外界の知識を狩りに行く。
釜山で過ごす誕生日
夜は8人の友人が集まってくれた。日本語を使わない人生初めての誕生日。サムギョプサルを食べて、いつもの通りカラオケにいってお酒と音楽に酔っぱらう。サプライズでケーキを出してくれて、感極まって泣いた。この国に来て、街に出て行って、誕生日を祝ってくれる友人に出会えたことに、感慨深くなって。ありがたい。生きていて、幸せだなと思った時間になった。青春。
デート
ドライブデートに出かけた。海辺の少し大人っぽい雰囲気のカフェでコーヒーを飲み、海辺で海の生き物を観察した。通り雨に打たれながら、これまた素敵なレストランで夕食をいただき、夜景まで眺めた幸せな1日だった。そして、綺麗な花束をもらって、私たちは恋人になった。心から満たされるって、こういうことなんだね。
好きな人が、同じ街にいること。好きな人と、会えること。幸せだ。
愛情の出し惜しみ
この間、大学の学部の友人が事故で亡くなった。私は数回しか話したことがない子だったけれど、衝撃でしばらく思考が停止した。このあいだの安倍首相のときみたいに。
冗談じゃなくて、本当に人生はいつ終わるか分からないんだと思った。だから、自分のやりたいことは我慢したくないのは、もちろん。愛情の出し惜しみもしないようにする。
周りの愛おしい人々に、愛情表現をたっぷりする。
好きな人に好きだと伝える。
素敵だと思うことを、言葉にして伝える。
連絡したい人には、連絡をする。
会いたい人には会いたいと言う。
26歳は自分への神経質な執着を少し手放して、もっと周りの愛おしい人々にエネルギーを向けていきたいと思う。これまでは自分の弱さや恥ずかしい部分を、隠しがちで、その部分を見られまいと人を遠ざけてしまうことが多かったけれど(私はプライドが高い女)これからは、そういう部分も”あ〜ア〜私やっちまってるな〜haha"と大好きな人と共有していくのも、いいのかもしれない。英語でVulnerability is glue to connect deeplyという言葉があるけれど、自分の弱いところを少しずつ出していくことで、人と深く繋がれるきがする。いきなりは無理だけど、少しずつ自分の弱いところも共有する勇気を持ちたいなと思っている。
まだまだ書きたいことはあるけれど長くなりすぎたのでここまで。また書きます。
Minami
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