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釜山留学日記(10)秋の訪れ

おはようございます。釜山は昨日から、なんだか一気に秋らしい気候です。ツイッターで、昨日”秋の匂い(가을 냄새)"がトレンド入りしていたのを見ると、どうやらそのよう。ひんやりした空気がお部屋に流れ込む。気持ちいな。かんかん照りの日々が過ぎ去り、肌寒くなると、なんで少し切ない気持ちになるんだろうか。

さて、今日も今週考えたことを思うがままに書いていこう。ブログに書くことは、自分にとっての整理作業。

1日の過ごし方

夏休みの日々の生活のリズムは安定していて、大抵↓の流れで1日を過ごした。

午前
・1時間レッスン
・教材作り
・勉強

午後
・3時間半レッスン
・散歩
・勉強
・勉強会(火曜日・日曜日)

この基本スケジュールに、スパイスのように友達や恋人との遊びの予定が入ってくるというような感じだった。かなり充実していたように、感じる。他の都市に旅行に出かけたくないほど、釜山が大好きすぎて、この街で過ごした夏は、とても幸せだった。

大好きなオンニは日本に一時帰国中で、それは本当に寂しかったけれど、韓国の友人達のおかげで、エネルギーに満ちた夏を過ごすことができた。(秋の気候のせいで、少しエモい気持ちになって夏を振り返っております。)(これで、明日からまたかんかん照りの日が続いたら笑う)

余白が多めの日常が、私にとって幸せだと改めて感じた。その日感じたことや、体調に合わせて自由に使える時間があると、私は生き生きする。

モールの最上階のカフェ。
ビールフェス!夏に外で、ビール!最高!

I'm on my way

11月に留学が終わり、日本に帰国する。そしてすぐ、ビザを切り替えまた釜山に戻ってくる予定だ。となると、ここに後1年と3ヶ月いることが出来る。いつまでもいられる訳じゃない。”釜山に住んでいる”ことは、特別なことなんだと毎日感じながら日々を送っている。

日常の一コマ。

私は、海外生活が好きだ。日々考えは変わっていくけれど、今のところの予定では韓国の後も海外生活をどんな形であれ続けていこうと思っている。この生き方、そして働き方については絶賛模索中だ。パソコンで、自分1人で働くことをどこまで極めていけるか。それを、この夏休み思いを巡らせて考えていた。

ポルトガルに住みたい。最近友人がハワイで婚約したので、ハワイでも過ごしたい。今はまだ知りもしない、国に興味が出たらひょいっと、その国に行きたい。そんな、生き方を模索することが今の私の一番のモチベーションになっている。私にとっての自由を追求することに、一番興味がある。

自分会議中。

心に興味あり

最近心理学にはまっている。釜山に来てからというもの、人との関わりが多く、その関わりの中から生まれる色々な感情に興味を持ったからだ。

人間の感情って、一言で言い表せない、矛盾に満ちているものだな〜、と。嫌い!って思っているのに、なぜか続けていたり。好き!って思っているはずなのに、ずっとモヤモヤが晴れなかったり。

心理学系の動画を沢山見たり、記事を読んだりしていると、合点がいく内容が多く、日々を生きる上で支えになる考えが沢山あった。こういう心関係の内容は、英語のほうが豊富な情報があるから、全部英語で探す。

AloneとLonely

"Alone"と"Lonely"の考え方についての記事を読んだ。

【Alone】物理的に1人でいること
【Lonely 】人との繋がりを感じられず、疎外感・孤独感を感じている状態

これを読んで、私はAlone(1人でいること)でもLonely(孤独)を感じる時間を少なくしたいと思った。1人でいても、私には大好きな家族や友人、恋人がいるんだ!って思えている状態で、いようと。自分の精神にとって、この状態が健康的だと思うから。

私はこれまでAlone且つLonelyな状態が長かったなと、今振り返ると感じる。東京の1人暮らし、ドイツの1人暮らしの時、なぜかそうだった。寂しさは、1人で全部埋めなきゃと思っていた。なぜか自分を自分で満たせなかったら、負けだと思っていたし、寂しくて人に連絡するのも、なぜか自分の美徳に反するような気がして、しなかった。(ドイツ留学まとめ記でも、そう残しております。)

でも、この間カナダの大学で心理学を専攻していた友人との会話で、ハッとした。

寂しい感情は、”お腹すいた〜””眠い〜”のような、生理的欲求と同じように捉えていい。

寂しい感情は、自分の性格のように捉えてしまうことが多いけれど、実はこれも生理的欲求なんだよ、と彼女が言った。

寂しい気持ちって、自分に関心を持って欲しいという心情らしい。赤ちゃんの時は、誰しも”自分に関心をもってくれや〜ミルクくれや〜っ”と、オギャーオギャーと泣く。人から関心を持ってもらえないと、死ぬから。寂しいという感情は、生存本能に直結するものらしい。とても興味深い話だった。

ああ〜寂しさを感じるのは、人間の欲求上、当たり前のことなんだ〜!そう思えたら結構楽になって、”寂しいときは、寂しいです”と素直に感じ、その欲求に素直に行動することを心がけるようになった。勉強会に出かけていって新しい人々と話す時間を設けたり、いつものみんなが集うバーに出かけていったりして、寂しい感情が自分の中に蓄積・停滞しないように行動するようになった。

感情は人間の生存に必要だから、現代になっても残っているって。

みんな職人

ある日、恋人が”仕事をしている人、全員職人。”と言った。え、職人っていうと、伝統工芸の職人?みたいな?長年その道一筋で特別な技術を持っている人のこと?

彼の考えは、こうらしい。職人は、技術を持っている人。そこまでは理解。え、でもみんな技術を持っているってわけじゃないじゃん?と突っ込む。

彼曰く、人がもっている色んな能力を全部”尊い技術”だと言う。技術という定義は、彼の考えの中ではとっても広いものらしい。

例えば

物流の仕事をしている彼だったら、
”物流の知識”
”体力”
”言語知識”
”業界へ対しての追求心”等々

私だったら、
”言語力”
”これまで培ってきた異文化理解力”
”人に教える力”
”物事を管理して遂行する力”等々

こういったものを全て技術と捉え、みんなそれぞれ持っている技術を駆使して、仕事をする職人だと言う。

自分が持っているものを、”技術”という言葉で表現することでなぜか誇りを感じることが出来ると感じた。そして、私の持っている力(技術)に誇りを持てると、その技術を磨いたり、工夫したりしたくなる。”この部分をちょっと磨こう!””こうしたら、もっといい仕事が出来るかも!”っと日々思えるようになったら、なんだか日々の仕事の時間が前よりも輝くようになった。

英語の先生?日本語の先生?誰にでも、できそうな仕事じゃん。ここで出逢う外国人の友人達がほぼ言語関係の仕事をしていることもあり、そんな風に勝手に自分の仕事を卑下して陳腐なものにしていた自分にハッとした。

仕事に自分なりの意味を見出していくこと。自分が持っているもので、目の前の人を助けていくこと。自分の尊い技術を磨くこと。素敵な考え方だなと思った。

カクテル。
夜景。

Minami


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