生きること
昨年の夏
埼玉の叔母が
容態が良くない父に会いに来てくれた。
父は、5人兄弟の長男で、戦争で片腕を失くした祖父に変わり
弟達と幼い叔母の父親代わりも担っていました。
叔母は、ただひとりの女の子でもあり、私にとっては歳の離れた姉のような存在です。
流行り病もあり
久しぶりの帰省だった叔母に
私が大好きな紀南の海と滝を見せてあげたくて、見てもらいたくて、
娘と3人で出掛けました。
国道から割とアクセスの良い「雫の滝」へ向かいました。
車を止め滝壺へ降りました。
真っ先に裸足になり、
「わぁ〜」と声を出し、
冷たい滝に足をつけた叔母。
その後、川が滝となる場所を上からも眺めました。
前日に降った雨で川幅が増した川の
頭上を鷹が気持ち良さそうに飛んでいました。
有料道路に戻り終点まで車を走らせる。大半の車が左折するを横目に
高速道路の延長で通り過ぎられれようになった国道42線を右に折れ戻る。
トンネルだらけの道とは違い、海と共に走る国道。
さっきまでは、たくさんの車が走っていたのに、途端に車がなくなった。
しばらく車を走らせると
人気のカフェがある場所へ辿り着く。
国道に入ってからは、自分達の車以外、誰ともすれ違うことがなかったのに、急に多くの車が止まる駐車場にちょっと驚く。
このカフェのオープン日に訪れたことがあったのですが、目の前に広がる絶景と美味しい料理があるカフェなのに
誰も居ない店内。やはりこんな場所まで来る人は居ないのかと心配した日は遠い昔。
SNSが発達した今、一客人の心配などは無用だった。
カフェがある場所は、
恋人岬と呼ばれる左右から打ち寄せられる波がぶつかる場所でもあり、
和歌山の夕陽100選の場所でもあります。
私が幼い頃、夏休みになると家族でよく訪れました。
今のようにUSJなどの娯楽施設がなかった頃、我が家のお決まりの夏休みのコースは、太地のくじら博物館でイルカのショーを見たり、那智の滝に行くことでした。
父の運転で那智勝浦まで行く際に
必ず休憩した寂れたドライブインがあった場所。
いつもブーゲンビリアが咲いていた場所。
いまは、オシャレで美味しいピザやパスタが食べれる場所となっている。
少し小腹が空いたのと
喉がカラカラだったので
休憩も兼ねて店内へ。
恋人同士や家族連れで満員の店内。
叔母と娘と私というなんとも不思議な組み合わせの私たちは、
自家製のレモンスカッシュとアイスコーヒーとピザを注文し、3人でシェアした。
安定の美味しいマルゲリータに舌鼓を打つ。
お腹も喉も潤って、私が大好きな場所へもう少し車を走らせる。
見老津駅のホームから見える景色が好きだ。
用もなく寄っては、ここからの景色を眺める。
私が大好きな場所を叔母も気に入り、喜び、ホームの端っこまで行って
片足を上げてポーズをとってみせた。
裁縫が得意で、幼い頃、2人の娘の服は全て手作りだった。
子供の私は、お揃いの服を着た一年に一度会う従姉妹達のことを羨ましく見ていたのを覚えている。
若々しく、日本の山100選を登り
60歳からスキーを始めた叔母。
アルプスにも登り、北海道へスキーに出かけるようなアクティブな叔母。
この時は、全くそんな気配も感じさせなかったのに、いまは病室に居る。
取っても取っても溜まる腹水と癌細胞と戦っている。
1年前の夏
便秘なのかお腹が張ってしょうがないと言っていた叔母。
このドライブの後、帰宅して病院に行くと余命半年。
手術は出来ない。
骨と骨の間に掬う癌と病床で戦うことになった。
先月、父の一周忌法要を無事終えました。
もちろん、叔母は参列出来ませんでした。
何があるかわからない。
1年前は、父を見舞いにわざわざ10時間弱の道のりを旦那さんと共に来てくれた叔母。旦那さんの実家の片付けを猛暑の中やり切った叔母。
この時は、まさか手の施しようがない病魔が取り憑き、叔母の体に棲みついていたとは思いもよらなかった。
今日は、8月6日。
広島に原爆が投下された日。
一生懸命生きたい
全力で楽しみ
全力で進み
全力で生きたいと思う。