見出し画像

【読書日記】たゆたえども沈ます

「たゆたえども沈まず」原田マハ

花の都、パリ。
しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ河が、幾度も氾濫し、街とそこに住む人々を苦しめてきた。
パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力を合わせて街を再建した。
セーヌ川が流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできないのだ。
それでも、人々はパリを愛した。愛し続けた。
セーヌで生活する船乗りたちは、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても救おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。
いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。
ーたゆたえども沈まず。
パリはいかなる苦境に追い込まれようと、たゆたいこそ、決して沈まない。まるでセーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
そんな街。
それこそが、パリなのだ。

ゴッホ兄弟と親交があり、かつゴッホ兄弟に影響を与えた日本人がいた…という設定のもと、パリにおける美術と、ゴッホの絵画の運命を描く物語。
日本人、美術商・林忠正とゴッホの間に親交があったかどうかは定かではないらしいが、ゴッホの絵に日本美術の影響と憧れがあったことは確からしい。

私はゴッホについてなんにも知らない。
元々美術に詳しいわけではないが、ミーハーなのでゴッホは知っている。けれど、教科書以上の知識はない。
ゴッホに兄弟がいたことは知っていた。ゴッホが生前認められることはなかったことも知っていた。あとは、タンギー爺さんの絵ぐらい。
もう20年ほど前になるが、日本でゴッホ展が開かれた時には母親と見に行った。でも、あまり記憶にない。当時大学生だった私はその前日、好きだった男の子と両想いになって有頂天だった。母親との待ち合わせに遅刻していき、大目玉を食らったが、そんなことも気にならないぐらい幸せな一日だった。でも、今になって悔やむ…
ちゃんとゴッホの絵をしっかり見ておけばよかった…。
そんなすぐに別れることになる男子より、ゴッホでしょ。
と、まあ今なら言えるがその時はそれはそれで幸せだったのだから仕方ない。

小学生の時に図工の教科書に載っていた「タンギー爺さん」の色鮮やかな絵から勝手にゴッホという人は悲運な人だったけれど、穏やかな人なんだろう、と想像していた。
けれど、話で読むゴッホは気難しく、感情の起伏も激しく、弟から受け取った絵の具代を安いお酒のお金に替えてしまうようなロクデナシだった。
「才能あるロクデナシ」については、私も身近にいるので、テオ(弟)の気持ちはわかる。
この物語は天才の傍にいる二人の視点から描かれている。
フィンセント・ファン・ゴッホの傍にいる弟テオと、天才的な手腕で日本美術を世界に広めた林忠正の傍にいる重吉。おそらく重吉は架空の人物と思われるが、重吉とテオの友情によって話は進んでいく。
読み終わってから、ゴッホの絵をいくつかネットで見てみた。
暗く不穏な絵もあるが、眩しいほどの色鮮やかな絵もある。
それは力強さ、と言い換えるのだろうか。
私には明るい魅力として映ったが、ゴッホが持つこんなにも苦しい物語があったとはしらなかった。
まさかお酒飲みのロクデナシだったとは…やっぱり表に出る才能とその人自身の本質は別なのだろうか。

パリに行ったことはないけれど…行ってみたいなあ。
林忠正と重吉は物語の中で、ただただパリに行ってみたい一心でパリへ行き、やがて美術商として成功するわけだけれど、
そういう最初の動機って意外と何でもいいんだなあと思わされる。
何かが好き、という一念でただ突き進んでやがて、そこで自分の道や信念を見つけることもできるのかもしれない。
ゴッホがただ、絵が好きだったように…
テオがただ、兄の絵を愛したように…


よろしければサポートお願いします!サポートいただいたお金は、新刊購入に当てたいと思います。それでまたこちらに感想を書きたいです。よろしくお願いします。