【ドラマ感想】君は私の春 最終回まで
合間に見ていた癒しが次から次へと終わる…
二人のどこまでも優しく、甘い空気感が大好きだった。
のほほんバカップルぶりは、最終回への悲しい布石なのでは…とビクビク怯えていたが、ゲスの勘繰りだったようだ。
辛い過去がある、子どもの頃に悲しい経験をした、そんな人が大人になり、または時を経て、皆がみな、いつも辛く悲しい顔をしているわけではなく、それを乗り越えようと、必死で生きている。
ある人が犯罪を犯した。
その人は過去に辛く悲しい体験をした。
子どもの頃、誰も救いの手を差し伸べてくれなかった。
その人の罪に対して、それはどこまで鑑みなければいけないのか。
同じく辛い経験をしたとしても、誰か一人手を差し伸べてくれる大人がいたならば…その人の未来は変わったのだろうか。
そのひだまりの中に自分もいられたのだろうか。
そんな対比のもとに、のほほんとしたヨンドとダジョンの二人と、暗く陰惨な殺人事件が並行して繰り広げられる。
どうして、こんなにも二人の世界は優しいのに、この暗い殺人事件が同じドラマに存在するのか、とても不思議だった。
でも、それは、「生きるのが辛い」人々に向けられた温かなメッセージだった。
ダジョンが束の間、惹かれ始めていたチェジョンミンにそっくりなイアンチェイサーという医師。このドラマに影を落とす人物。自らの過去に怯え、恐怖を抱き、その恐怖を克服していくダジョンの強さ。
相手をどこまでも優しく受け止めるヨンド。
自分の小さな優しさが、目の前の誰かの小さな光となり、それが繋がって、どこかで誰かを救うかもしれない。
あらすじを聞けば、ビルで起きた殺人事件…という不穏なドラマに感じられるが、このドラマは誰かの癒しとなるべく作られたドラマだ。
今日、辛くても、明日、強く生きられるように。
いつか、どこかに「春」が待っているように。
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ところで、私にとってもヨンド(キムドンウクさん)は癒しだった。
ヒョコヒョコと歩く姿。全身で嬉しそうにダジョンに尽くす姿。
「僕の好きな人」と繰り返す笑顔。
ダジョンはずっと「ダメ男」ばかりに惹かれる「恋愛下手」だった。
けれど、悲しい出来事を繰り返し乗り越えていった先に、ヨンドという「優しさ」に出会った。ヨンドという、悲しみも全てその「優しさ」に取り込んできた人間を受け入れる「強さ」をダジョンは身に付けていた。
このドラマには、過去の悲しい結婚や、辛い恋愛、受け入れられなかった子ども時代、そういったものを乗り越えて、人に優しくする人たちがたくさん登場する。
私も、誰かの「春」となれるように。
そう祈りたくなる、ドラマだった。