回転体の人生 vol.3 続く違和感…オンとオフを分ける意味って?
俺は紆余曲折を経て27才で最初の店を出す
場所は神奈川県藤沢市辻堂
俺が15年間暮らした愛する町だ
今回はその時期に生み出してしまった違和感についての話です
俺は湘南でNo.1になる!
俺は燃えに燃えていた
自分のラーメンでのしあがってやると意気込んでいた
湘南で最も売れる店になってやると鼻息を荒くしていた
俺の味で人々の頭をガツンと打ちのめして中毒患者で町を埋めてやるとくんくんに張り切っていた
もう21年も前の話だ
新しくできた俺の店に50代〜60代の地元の主みたいな人達がやってきては
「お前はなってない」
だの
「そんなことではすぐに潰れる」
だの色々とありがたい(?)お言葉を垂れていった
その一人一人に対して若かった俺は
「あぁそうですか…全然構わないですよ、何を言われても。でも後5年見ててくださいよ。俺がこの町でNo.1ですよ!!」
と啖呵を切って中指を立てていた(実際に立てていた)
一体この頃の俺が何を求めてNo.1になりたかったのかなんてもうわからないけど、とにかくバカにされたくなかった
そんな想いが店中に充満していた
結局この湘南時代のらーめん南は12年間経営をして、一時期はとんでもない集客を誇った
辻堂の飲食店の仲間が
「辻堂で1番わかりにくい場所にあって1番客を集めている」
なんて言ってくれたりもした
中には
「辻堂で南のことを知らない人はいない」
とまで言ってくれる人もいた
俺は俺でそれなりに自尊心を満たされてもいた
ラーメン屋は笑わない?
しかしここでひとつの違和感を覚える
いや、正解に言うと自分でその違和感に気付いたのではなく、他者から『違和感を感じる』と投げかけられたのだった
その違和感とは
「店にいる時の南さんととプライベートの南さんが違いすぎて戸惑う」
というものだった
前述した通り、当時の俺は営業中は1ミリも笑わなかったし無駄な言葉も発しなかった
自分からお客様に話しかけることも稀で、知り合いが来てもほとんど無言だった
いつしか友人知人もそんな俺を見て
「店は大ちゃんにとって戦場なんだ。おいそれと話しかけてはいけないんだ」
と言い出した
それからというもの、友人知人ですら当時のらーめん南に食べにきてくれても俺には話しかけなくなっていった
俺もそれが自然なことだと考えていたし、営業中は話す必要なんてないと考えていた
しかし内心はどうだったのだろうか?
本当は「どう振る舞っていいのかわからない」というのが本音だった
ピーク時のラーメン店は本当に大変だ
次から次へと注文が入る
麺はついつい気を抜くとすぐに伸びてしまうし、スープはすぐにぬるくなる
楽しくのんびりとお客様と会話をしながら営業なんてできない
暇な時間帯ならのんびり話していてもいいかも知れないけど、暇な時に来てくれたら方が俺との会話を楽しんだとして、次の機会に来てくれた時にめちゃくちゃ忙しくてまともな会話もできなくて
「なんだよ。今日は感じ悪いな」
と思わせるのであれば、最初から話さない方がいい
いつしかそんな風に考え始めた
27歳で店を出す時、俺自身も考えていた
「修行先ではほとんどお客様との接点がなかったから、自分の店では居酒屋みたいにお客様と和気藹々と接したい」
しかしいざ店を始めてみたら、若輩者の俺にそんな余裕はなかった
忙しさで忙殺され、一緒に始めた後輩はメンタルをやられ、出資してくれたオーナーとはすぐに揉め始め、若輩者だった俺は強がって強面を保つくらいしかできなかった
そこから俺は
「ラーメン職人とはこうあるべし」
といった強面を崩さない営業スタイルを貫くことにした
いつしかそれは俺の仮面として定着して、俺は営業中に笑顔を作れなくなっていた
でも、プライベートでは陽気で楽しい自分が出てくる
周りは「まるで別人」と言い出す
俺は俺でどっちが本当の自分かわからなくなってくる
「仕事中の俺は双子の兄貴やねん」
という架空のキャラまで作り出してしまった
完全に二重人格キャラを定着させていた
ひとつの示唆となった『鉄板焼き大ちゃん』時代
今となっては笑い話でもあり俺自身の黒歴史のひとつでもあるのだが、俺は過去に3ヶ月だけ鉄板焼き屋を営んだことがある
当時の会社は大繁盛のらーめん南、斜陽感が出ていた居酒屋、そして苦しさ紛れで始めた宅配の弁当屋があった
そして居酒屋の一階が何も営業をせずに持て余していた
その場所を使ってお好み焼き・もんじゃ焼きの店を始めることになった
その店自体は当時居酒屋を任せていた人間がらーめん南の売上を1ヶ月半で300万円横領したのをキッカケに畳んでしまうのだが、その3ヶ月間はとにかく楽しかった
その店が俺にとってラーメン以外の料理をお客様に提供する場所になったし、そこでの腕試しは俺に大きな自信を与えてくれた
何せ鉄板を挟んでお客様と会話をして盛り上げるのはとにかく楽しかった
プレーンサワーにレモンを絞っただけのなんでもないドリンクに『大ちゃん公式サワー』と名付けてお客様と一緒に飲んでるうちに
「大ちゃん!公式二杯!」
などと注文をもらえるようになり、らーめん南には来なかった(俺が相手にしないから)友人知人も来てくれるようになった
そこでの営業は
「大ちゃんの良い面が出ている」
とも言ってくれる人もいた
俺自身が
「この方が楽しいな。これでいいのかな」
と考えていた
しかし3ヶ月で閉店を余儀なくされた後、俺は居酒屋の営業も担当することになり、らーめん南の営業と両方を管理することになった
するとまた「笑わない営業」に戻った
俺はこれを貫くしかないのかな?
そんな風に考えながら、湘南での仕事を続けた(次回vol.4に続く)