自由と逃走 3
俺は再び本気で逃げようと考えた。
何から逃げようとしたのだろう?
冷静に考えてみれば逃げ出さなきゃいけないことなど何もない。
むしろ15年〜9年前の辻堂での日々や、つい2年前までの野々市市での日々の方が逃げ出したいくらいに辛いことばかりだった。
今はどちらかというと、平和だ。
俺のことを追い立てるものもいない。
命の危険を感じるような存在も出来事も起こらない。
過不足なく暮らしている。
これまでの経験と比べてみても格段に幸せなはずだった。
俺は何から逃げようとしているのだろう?
24歳だった
俺は当時24歳だった。
友人を頼って神奈川県藤沢市へとやってきた。
電車を乗り継いで降りた東海道線辻堂駅は、頼りないくらいに寂しかった。
夜の20時を過ぎた当時の辻堂駅前は、パチンコ屋の灯りしかないような寂れた地方の駅だった。
俺は駅に降りた途端に
「来る場所を間違えたかも知れない」
と不安に駆られる。
俺にとって湘南という地域のイメージは、まるでハワイのような一大リゾート地のような華やかな場所だと思い込んでいた。
そもそも湘南とはよく聞いた言葉だが、実態は何も知らなかった。
『神奈川県湘南市』
という町があると思い込んでいたくらいに無知だった。
19歳から住んだ石川県金沢市に馴染めずに、たくさんの人に迷惑をかけた挙句に逃げるようにして石川県を飛び出た。
自分の人生と頭の中を狂わせているのは、石川県のせいなんだと環境のせいにして俺は逃げ出すことを選択した。
「石川県から離れたい」
そう考えていた時に高校時代の友人からとある電話が届いた。
「おぅ。大さんけ?俺な、湘南に引っ越ししてんけ」
彼は都内のホテルのレストランで料理人の修行をしていた。
休日の度に都内から湘南に電車で訪れ、サーフィンを楽しんでいるうちに湘南に住むことを決めたらしい。
その湘南から都内のホテルに通うと決めたとのこと。
とにかく石川県から離れたいと考えていた俺は
「これや!」
と思い立って部屋中のレコードと本を売り払って現金に変え、彼の部屋に段ボール箱ひとつ分の生活用品と布団一式だけ送りつけて湘南へと向かった。
俺が本気で湘南に移住するとは考えていなかった友人は呆れていたが、当時の俺がかなりイカれていたことを知っていた彼は
「…まぁ…アイツならしゃあないな…」
といった諦めもあったみたいだ。
とにかく俺は石川県を離れたかった。
花の都?
とにかく若さとは無知なものだ。
俺は湘南がどのような場所なのかはおろか、関東という地方全体が
大きな東京
くらいに考えていた。
生まれてから高校を出るまで京都で育ち、事情により5年間石川県金沢市で過ごした俺にとって、東京とは
メガロポリス
バビロン
の象徴だった。
長渕剛が楽曲『とんぼ』で歌ったように、花の都大東京が関東平野全域に広がっていると考えていた俺は、華やかな湘南にやってくれば仕事など溢れるほどあると考えていた。
京都や金沢のような『地方』ではなく、花の都大東京なら、住み込みの新聞配達であろうが、レストランでの皿洗いであろうが、なんでもあると考えていた。
そして溢れるほどの人口の雑踏の中で俺のことなど誰も知らない。
そんな中で人波に飲み込まれるように埋もれて生きていきたいと考えていた。
しかし…
神奈川県藤沢市、しかも当時の辻堂という町は…
本当に寂しい一地方の小さな駅前の町だった。
人1人として歩いていない。
パチンコ屋しか電気がついていない。
俺は立ち尽くした。
「来るところを間違えた」
俺は暗澹たる気持ちに襲われる。
そんなタイミングで、友人が仕事から帰ってきて、辻堂駅の改札から出てきた。
彼は俺を睨みつけてどこかしら怒っている様子だった。
(次回に続く)