自由と逃走 2
『逃げる』という言葉にはどうしても悲観的で否定的な意味合いを受け取ってしまう。
特に俺の様に体育会系で育ち、かなり気合いの入った先輩方も多数おられた環境で育つと
『逃げる=敗北』
という価値観がどうしても心の奥底にあるような気がしてならない。
そこで立ち止まって考えてみる…
俺、一体なにと戦ってるんだ?
敗北の意味
一昨年の9月に店を閉めた。
自分としては納得をして閉めたし、今振り返っても閉店するにはこれ以上ないタイミングだったと思う。
前向きな閉店をした…
…つもりだった。
しかし心に空いた穴は大きかった。
喪失感と虚無感に襲われて、自分が無価値の人間であるように思えてきた。
ラーメンを作らない日々というのは本当に退屈だ。
ラーメンを作らない俺なんて、はっきり言ってなんら存在価値などない。
もし俺のパーソナリティから『どこにもないラーメンを作れる能力』をとってしまうと、そこに残るのはただただ
【迷惑な男】
という事実だけだろう
俺は自分では前向きな閉店をしたと考えていたにも関わらず、喪失感と日々の虚しさから腐りに腐り、酒を浴びるように飲んだ。
飲みきれなければ人にまでご馳走し、ありったけの金を2週間ほどでお酒で溶かし切った。
どろどろの意識不明に酔うことを『泥酔』というが、この頃の俺は人生自体を沼に足を取られて動けないような気分だった。まさに生活が『泥酔』していたし人生が『二日酔い』を起こしていた。
ここで俺は自分を受け止めようと考える。
「俺は負けたのだ。敗北したのだ。無様に撃ち倒されたのだ。果たしてなにに?」
何と戦っていたのか?
その答えは
『自分自身と』
だった。
敗北=逃走?
しかしこの閉店による俺の懊悩は『敗北』であったとして、『逃げた』わけではなかった。
俺は人生を賭けて自分の運命に立ち向かい、そして敗北したのだ。
その敗北はある意味気持ちがいい。
人生丸ごとフルスイングして、ボコボコにやり返されたのだから後悔など微塵もない。
あるのは敗北のショックから泥酔状態を引き起こしたという『事実』だけだった。
今現在の己の限界を知るには、思いっきり敗北して撃ち倒されてしまうのが一番だ。
撃ち倒されて天を仰いだのち、どのように立ち上がるのかは…
自分で決めればいい。
俺は立ち上がることを決めた。
閉店の決意
金澤流麺の閉店を決めた理由をまだ公表できないことが本当にもどかしい。
ただ、はっきりと伝えておきたいのは、決して経営難からの閉店ではないということ。
金澤流麺は根本的に根深い問題を抱えたまま経営を続け、その問題を一度断ち切るために閉店を決意した。
ミシュランガイド北陸特別版2021に掲載していただけた直後だったから、常連様はより混乱をしたと思う。
誰がみても金澤流麺らーめん南は『これから』の店だったから。
だが俺はミシュランガイドに掲載していただけたことがひとつの区切りになった。
もっと早くに店を閉めてその抱えている問題と向き合うことは可能だった。
だが、何かしらの結果を出してから閉めたかった。
苦しんだ日々の答えがひとつくらいは欲しかった。
その答えとは何かはわからなかったけど、自分が戦った結果が欲しかったから、ひとまずミシュランガイドという世間的な評価をいただけたことは、「この5年半の成果は出たな」と思うには充分だった。
だから納得しているはずだったが、店を失った喪失感は想像以上に大きかった。
俺はまだまだ未熟だ。
復活への道のり
閉店をした後、『ではこの後どのように復活を果たすのか?』を考えてみた、
まず復活までに乗り越えておかないといけないと思われる事柄を洗い出してみた。
①閉店に直接関係している人間関係の清算
②開店資金をどうするか?
③次の店の方向性と味の確立
当時の俺はこの3つのように思われた。
今現在(2023.6/4時点)、③の方向性と味については確固たる自信のあるものができている。
もう一日でも早くお客様に届けたい。
そんな気持ちだ。
②に関しては今の時点では確かなことは何も言えないが、ひとつご縁をいただいている。
この件がうまくいけば、それほど心配しなくて済みそうだ。
もしダメならまた何か考えればいい。
問題は、①
こればかりは相手があってのこと。
不透明過ぎてなんとも判断が効かない。
相手の出方を見るしかない。
そう思い、まずは地域で一番時給が高かった工場に派遣社員として勤務し、生活を成り立たせる事と将来の資金のための貯金を始めることにした。
再スタートへの助走
店を閉店してから一年半、工場勤務と並行して土日を利用した出張コックと間借り営業を継続してきた。
味と方向性を模索するためと、俺を待っていてくれているお客様と離れたくなかったからだった。
とてもいい出会いもあれば、苦い別れもあった。
27歳で自分の店を持って以来、とても偏った価値観の中で過ごし、一般的な社会とは隔絶した暮らしをしていたことに気が付かされた。
おかしな言い方だが、俺は45歳にして初めて世の中に出たような気持ちになった。
らーめん南はおろか、俺の存在など全く知らなかった人達との出会いの連続の中で俺は気付かされる。
『俺は何者でもない』
かつて俺は今以上に何者でもなかった。
24歳の時、俺は文字通り『逃げた』過去を持つ。
あの頃からなにも変わっちゃいない。
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