「やりたいこと」の見つけ方
以前、「やりたいこと」なんてなくていいという記事を書きましたが、それは一部誤りだったと考えさせられることがありました。
気づいたのは、「やりたいこと」が明確にならないということは、自分の人生のビジョンを具体的に考えることからの逃げだったなということ。
先日、知人の勧めで「人生戦略セミナー」という招待制のセミナーに参加しました。このイベントは延べ3万人以上が参加していて完全招待制。内容は世の中のこと・自分の考え方に気づきを与えてくれる自己啓発型のセミナーです。今回はYENTAで知り合った女性起業家の紹介で参加しました。
セミナーの中で、「在り方」と「やり方」の違いについての話がありました。
在り方とは、自分がどうありたいか・なりたいかという状態の話。やり方は、そこにたどり着くための手段・目指す姿のようなもの。プランを立てる時は具体的に、固定観念(無意識のフィルターも含め)を取り除き、数ヶ月あるいは数年後の期限を決めます。
在り方が定まれば、そこに行き着くために何か必要か?を考えることになり、なりたい姿が定まります。なりたい姿に必要なやるべきことが、自分の「やりたいこと」なのです。
以前の記事では、「やりたいことではなくありたい姿を描く」という主旨のことを書きましたが、実はその二つは連動していて、ありたい姿からやりたいことを描くプロセスが私には欠けていたと気づきました。
もし、ありたい姿が決まっているのにやりたいことまで描けない場合は、在りたい姿が抽象的すぎるということになります。
自分の人生を設計する上で、何を目指すかはとても大切なものです。今は豊かな日本においては、目標を決めずになんとなく生きていてもそれなりの生活ができますが、目標を定めてそこに向かって具体的な努力をした人とは、気がつけば圧倒的な差がつきます。
やりたい「こと」から探すのではなく、先に在りたい「状態」を描く。解像度が高い状態で描くほど、やるべきことは明確になり、それが「やりたいこと」になります。
このプロセスがわかったことで、改めて自分のビジョンを想像することが楽しみになりました。家族と過ごす時間、子供の成長、自分の教養などなどあらゆる軸で組み立ててみたいなと思います。