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【小説】缶珈琲


登場人物


・陽向(ひなた)
高校三年生。サッカー少年。

・音澄(おと)
高校三年生。美大を目指す女の子。
カフェ「TSUMUGI」の常連。

・絵麻(えま)
高校三年生。音澄といつも一緒にいる女友達。


・旭(あさひ)
27歳。カフェ「TSUMUGI」のオーナーの男性。

・小川君(おがわくん)
22歳。カフェ「TSUMUGI」で働く大学生。


・心春(こはる)
29歳。
カフェ「TSUMUGI」の常連女性。


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ep.1 陽向と缶珈琲

傘を閉じて、湿った空気を吸い込んだ。
雨上がりのカビ臭いような独特な匂いで鼻の奥がツンとする。


今日、高校最後のサッカーの大会が終わった。
目標には遠く及ばず、
汗と涙でぐしゃぐしゃになった僕らの顔は、
激しい通り雨が綺麗に洗い流していった。
後輩達に夢を託し、僕は本格的に受験生としての毎日が始まる。


雲に隠れていた夕日が顔を出して、
雨で濡れたアスファルトを照らす。
キラキラと光る足元を眺めながら吐いた息は、
思ったより大きなため息になった。


僕にはサッカーの他に、一年生の時から続けている事がいくつかある。
恥ずかしくて誰にも言ってないけれど、大人になった僕はきっとサッカーの思い出より青春だったと感じるかもしれない。
いや、ちょっと大袈裟かな。
流石に今日の事は、悔しかったなって思い出して欲しい。


家の最寄駅にある古びた自動販売機。
僕はここで微糖の缶珈琲を2つ買う。
これが続けている事の一つ。
2つ買う理由は特にないけど、いつか意味が生まれると信じて続けている。


「陽向!」


歩き出そうとした僕の名前を聞き飽きたくらい良く聞く元気な高い声が呼んだ。
振り返る前に、その声の主は僕の背中を思いっきり叩いた。


「痛っ!おい叩かなくても良いだろ」


「あれ、痛かった?一応慰めを込めた優しさだったんだけど」


「優しいの”や”の字もねえわ」


「ごめんごめん!とりあえずお疲れさん。まあ元気出せよ少年!」


「はいはいありがとう」


まだ残る悔しさが顔に出てしまいそうで、
僕は慌ててさっき買った缶珈琲を開けてひとくち飲んだ。


「げっ…大会終わりに微糖の缶珈琲っておじさんかよ」


「うるさいな。音澄だって好きじゃんこれ」


「いやあ、好きだけど…今じゃないわ」

このデリカシーがありそうでない彼女は、同じ高校に通うクラスメイトの音澄。
彼女とは中学も一緒で、クラスも6年間一緒という奇跡。
腐れ縁と言った方が良いだろうか。


「はいはいおじさんで結構結構」


微糖とは言え、僕には苦すぎる味が口の中に広がって、悔しい顔も苦い顔で誤魔化された。


「ごめんて!それよりさ、明日空いてる?見たい映画あるの」


「空いてるけど何で僕となの?他にいるだろ」


「絵麻に用事あるって振られたんだもんお願い!」


絵麻もまたクラスメイトで、音澄といつも一緒にいる女の子だ。
音澄とは違って、静かに一人で本を読んでるような大人しい人。
どうしてこうも正反対な2人が仲良しなのか不思議でたまらない。


「僕一応、大会終わりでお疲れなんですが」


「私の全奢りで!ポップコーンとコーラ付き!どうですかお兄さん!」


「乗った」

「えっまじで?良いの?やった!」

「うん。いつもの映画館でいい?」



「おっけい!じゃあ明日14時、駅前集合ね」



返事をする前に、音澄は長いポニーテールを揺らしながら走って行ってしまった。

映画デート。
僕達にとっては、男女の甘い感じとかそういうんじゃなく、
男友達や兄弟と出かけるくらいのもの。
そして、僕が誘われるのはいつも絵麻の代わりである。
ただ、音澄も適当に僕を選んで誘っているわけではない。
彼女にはちょっとした秘密があるのだ。


帰宅して、風呂を済ませ、自分の部屋に戻ると着信音が鳴った。


『映画、ありがとう!明日よろしくね!
それと、改めてサッカー二年半お疲れ様。
一生懸命な陽向は最っ高にかっこよかった!
次は受験、一緒に頑張ろ!』


音澄からのLINEだった。


大会中の僕の写真が一緒に送られてきて、帰り道我慢していた涙が一気に溢れた。
同時に、直接言ったらきっと、僕が耐えられなくなる事を彼女は見抜いていたんだと気付いて、少し恥ずかしくなった。


「そういうとこだぞ音澄・・・」


僕が一年生の時から続けている事。


もう一つは、音澄に恋をしている事。


『ありがとう。』


一言だけ返信をして、
ぬるくなった二つ目の缶珈琲を一気に飲み干した。


【続く】
次回ep.2 音澄とキャラメルマキアート

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