《小説》缶珈琲ep.7

ep.7 音澄の幸せ


「出来たー!」


筆を置いて窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっていて、綺麗な三日月が優しく辺りを照らしている。


「うわっ、もうこんな真っ暗じゃん。ごめん絵麻。終わったよ!」


邪魔にならないようにと、キャンバスに隠れるように座っていた絵麻に声をかけた。
でも返事がない。


「絵麻?」


キャンバスの横から覗き込むと、机に伏せて寝てしまっている絵麻が見えた。
流石の彼女でも疲れが出てきているみたいです。


絵麻を起こさないように立ち上がって校庭を覗くと、陽向達のいないサッカー部がまだボールを追いかけている。


一年生の時、先輩達が帰った後、一人で描き続けていた日があった。
だいぶ遅くまで描いていて、流石にもう帰ろうと片付けをしていた時、練習終わりの陽向が絵を見たいと美術室へ入って来た。
もう大きな絵は片付けてしまっていたので、スケッチブックに描いてあった適当な絵を見せたら、大袈裟なくらいに褒めてくれたっけ。


それから時々、遅くまで描いていると陽向が美術室に寄って行く日が増えて、いつの間にか、サッカー部の終わりの挨拶が、私の片付けを始める合図になった。
陽向も毎日来るわけではなかったので、披露する絵をサッカーをする陽向の絵に変えて描き溜め、見せる日にはスケッチの練習だからと照れ隠しの言葉を添えた。


これもまた、私が一年生の時から陽向の引退まで続けていた事になった。


もうそれが出来なくなった今、「卒業」が頭をよぎって寂しくなる。
私は陽向の引退と共に、校庭の見えない場所を選び、陽向が美術室へ入って来る事がなくなってからは、美術室のドアに背を向けて絵を描くようになった。


私は絵麻の後ろにまわって、まだ寝ている彼女の肩を少し強めに叩く。


「絵麻!起きろ!」


「うわっ!えっ、あれ、私寝てた?最悪…」


前髪をくしゃくしゃにしながら、起き上がった絵麻が可笑しくて、寂しさはどこかへ行ってしまった。


「ははっ、絵麻ちょっと、前髪やばいよ。いつから寝てたのか私も分かんないけど、勉強は進んだ?」


前髪を直しながら、絵麻は慌ててノートを開き直して、直ぐに安堵した。


「ノート見た限り…まぁまぁやってたみたい…良かった。音澄は、描き終わったの?」


「うん!ちょっと見てよ!これは傑作だわ」


自分がいた席に戻り絵麻の方へ絵を向けると、彼女の目にまた涙が溜まり始めた。


「ちょ、待って絵麻、もう泣くなよ?泣くなよ?さっきいっぱい泣いたよ?」


「音澄…やっぱり素晴らしすぎるよ…無理泣く…」


「えぇー…」


片付けを始めてもめそめそしている絵麻に笑いながら、私達は美術室を後にした。


昇降口を出て、校門へ向かっていると、ジャージにパーカー姿の陽向が見えた。
誰か待ってるのかな。


「おーい陽向!」


手を振ると、陽向はチラッとこっちを見て、何故か見えてないふりをした。


「なんだアイツ。無視か」


「陽向君って、音澄にだけ意地悪だよね」


「嫌な奴だよまったく」


「音澄の事好きなんじゃない?」


「いやいやないない!それだけはない」


「音澄、顔赤いよ?」


絵麻はクスクスと笑いながら、陽向の元へ先に走っていった。


私は火照る顔を冷ましながら歩いてゆっくり追いつくと、絵麻が今度は意地悪な顔をする。


「陽向君がお迎えにあがりましたよ音澄さん」


「絵麻、変な言い方すんな」


「げっ、何でお迎え?絵麻と下校デートだったのに…」


「お迎えじゃねぇって」


日向は後ろ髪をぐしゃぐしゃしながら、スマホをポケットにしまった。


「二人と話があるんだ。下校デートはごめんだけど」


絵麻は私の顔を見て、首を傾げる。


「よく分かんないけど、陽向がわざわざ学校に戻ってきて待ってるくらいだし、何か真剣なんでしょ?3人で帰ろう」


「おう」


歩き始めた私達は、しばらく無言のまま、陽向が話し始めるのを待った。


「音澄。兄貴の結婚の事知ってたんだな」


「うん」


何の話かと思ったら、そんな事か。
旭さんやっと言ったんだ。


「何で僕に言わなかった?」


「自分で言うからって、旭さんに言われたからさ。私から言うわけにはいかないっしょ」


「そうじゃなくて…」


「だって、私が知ってるって知ったら、陽向どうせ気使うじゃん」


「知られないようにする方が神経使ったわ」


「ほら、気使う!別に私が知らなかったとしても言えば良いのに」


私と陽向が歩きながら会話を始めると、絵麻が立ち止まった。


「ちょ、ちょっと待って?結婚って?旭さん結婚するの…?じゃあ、あの音澄の絵は、音澄の夢じゃなくて、リアルなの…?」


「え、絵麻、まだ陽向には絵見せてないから黙っ…」


「見たよ。お前の絵は」


「は?え?見たの?いつ!」


パニックになる絵麻と私と裏腹に、陽向は冷静だった。


「絵麻が飲み物買いに行ってる間に、美術室覗いた」


「ストーカー…」


「絵麻が泣いてたから、お前も心配で見に行ったんだよ。つーか、絵麻にも言ってなかったのか」


「そりゃ、陽向にも言えないのに絵麻には言えないでしょうよ」


「そうだけど、そうじゃなくて、お前が兄貴の事好きだって、僕も絵麻も知ってるんだぞ。結婚なんて聞いたら、普通へこんで相談すんだろ…」


あぁ、そういう事か。
陽向は、私の心配してくれてたんだ。
ズルいよなぁ。
兄弟揃って、優しくて、なんか泣きそうだ。


「それは、うん。二人ともごめん。いやさ、心春さん見たら、勝ち目ないなって、簡単に諦めついちゃってさ。旭さんもきっと私の気持ち気付いてて、ちゃんと言ってくれたんだろうし。もう好きとかなくて、だから、二人に聞かれるまで言わなくても良いかなって思って、それで…」


「そんなとこ嘘つかなくていい」


少し早歩きになる私の右腕を陽向が強く引っ張った。


「嘘じゃないよ。本当に、心の底から、好きな人には幸せになって欲しいもん」


「だから、あの絵なの?音澄の幸せって、旭さんが結婚して幸せって事なの?」


絵麻はそう言って私の左腕を掴んだ。
二人の優しくて強い温もりが心も温めていく。


「そうだよ。本当は、幸せってよく分からなくて、どうせ審査も通らないだろうし、描きなれてた陽向の絵にするつもりだったの。でも、旭さんから結婚するって聞いた日、心春さんも旭さんも幸せそうな顔してて、今私が願う幸せは二人の幸せだって思って、描く絵を変えたの」


陽向の力がスっと弱くなる。
二人の顔を見たら泣いてしまいそうで、下を向いたまま私は続けた。


「神様って意地悪だよね。全然良い絵が浮かばなかったのに、変えようって決めたらどんどん描けちゃって、傑作んなっちゃった。愛の力、すごくない?」


「もういい。もういいよ音澄。よく分かった。ごめん。辛い話させた、ごめん」


陽向の手が、腕から肩に移動して、絵麻ごと私を抱き締めた。
絵麻の私を掴む力も強くなった。


「やめてよ。せっかく良い話してるのに、こんな事されたら、泣くじゃん」


ギリギリで保っていた糸が切れたように、涙が溢れてくる。
絵麻も何も言わずに一緒に泣いてくれた。


「陽向のせいだからね。別に泣くつもりなかったし」


「うん。僕のせい僕のせい。音澄の強がりのせいなんて言いませんよ」


「言ってんじゃん。ムカつく。もういいよ離せっ!」


陽向を引き離してから、制服の袖で涙を拭いて、やっと二人の顔を見た。
絵麻は泣き腫らした顔で心配そうに私を見ている。
陽向は目が合うと直ぐに背を向けて歩き出した。


「聞きたいこと聞けたし、絵の謎も解けたから帰るか」


「ちょっと、謎とか事件みたいに言わないでよ。ってか、勝手に自分だけスッキリして満足すんな!」


陽向を追いかけて、背中を叩こうと腕を上げると、振り返った陽向が私の腕を掴んで阻止した。


「だから叩くなって。音澄だって、話せて泣いてスッキリしたろ?」


腕を離してフッと偉そうに笑う陽向に、不覚にも少し体が熱くなって、絵麻の好きなんじゃない?って言葉が頭をよぎる。
ちょっかい出したり、泣かせたり、褒めたり、何がしたいんだこいつは。


「あー、なんか泣いたら喉乾いた。二人ともファミレス寄ろ」


「うん!うん、行こう!陽向君も良いよね?」


「慰安会でもすっか」


「っしゃ!飲むぞー!」


「酒みたく言うな」


二人の不器用な優しさは、いつもこうやって私を救ってくれる。
私達は腕を組んで(陽向は嫌がっていたけど)、ファミレスへ向かった。


そして、ドリンクバーと大きなパフェで盛り上がった慰安会は、ジャンケンに負けた陽向の奢りで締め括られた。


次回「ep.8 展覧会とプレゼント」

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