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あの日のように、輝いていますか

「まんまるお月さまだねぇ」なんて言いながら、きのう息子と月を眺めていたら、フラッシュバックのように、ある日のことを思い出した。
その時の記憶の断片。

◇◇◇

2012年、夏の終わりのある日、
私は出張先のマドリッドからパリに戻るべく、飛行機に乗った。

離陸時刻はちょうど19時で、周りは暗くなり始めていた。
運よく座席は3人席に私以外誰も座っていないと言う最高の状況。
さて三席占領して豪快に寝るか、と思って窓際に移動した時、思わず外の景色に目を奪われた。

目下。
一面に、オレンジ色の優しい光で輝くマドリッドの街並み。
陳腐にしか聞こえないけれど、宝石をちりばめたような夜景。

実際にヨーロッパに住んで、自信を持って美しいと断言できるものが、一つあった。
それが、夜景。
ヨーロッパの夜景は、どんなに見慣れた場所でも、いつでもはっと息を呑むくらい美しい。

中心地を離れ始めると景色は真っ黒になり、もしかしてこれって海?と思った。
直後、いや待て待てマドリッドって内陸じゃん、と思いなおし、ならきっとあれは畑なんだろうなあと眺める。
よく見ると、その真っ黒い世界に所々浮かんでいる光が見えて、そこに、人が住んでるんだなあとわかる。

サンテグデュペリは、「夜間飛行」の中で、
夜の飛行中は視界が真っ暗で、自分が上を向いているのか下を向いているのか、わからなくなる時があると言っていた。
そんな時彼は、民家の灯りを必死に探すと。

私が大好きだった予備校の先生は、北海道の田舎出身だった。
彼の地元は街灯が一切ない山奥で、そこには手を伸ばしたら引き込まれてしまいそうな漆黒が広がっていたと言っていた。

光があって、闇があった。
闇夜に光るは人の生命で、それ以外は自然だった。

なぜ、夜景を美しいと思うのか、長々と考えていたけれど、なんとなく腑に落ちた。

こんな私にも、
不安や恐怖を払拭して、自然を開拓し、生活を営んでいく、原初の頃の記憶が、綿々と受け継がれているんだろう。

その記憶をDNAに宿しながら、いま東京の夜景を見て思う。
光が闇を浸食していく。
今や、夜でも地球は光り輝いてる。

都会では星が見えないと嘆くのは、皮肉でしょうか。

おーい、中秋の名月。
あなたも輝いているけど、そっちから見たらこっちも中々まぶしいんじゃない?

応答せよ、応答せよ。
私達もいま、あの日見た夜景のように、輝いていますか。

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