【足るを知る】当たり前に”ある”生活に、感謝できるような旅を考える
ボヤボヤしてると時間ばかり無駄にしちゃいそうだ。
考えていること、少しでもちゃんとまとめようと思って、今指を動かしている。
今日は有給を取って、図書館に行った。コロナ対策で、30分しか滞在できないのだけれど、目星を付けていた棚を物色。いつも何冊も借りたくなってしまうが、結局期日までに読み切れずに返すことが多いので、今回は自制して2冊だけ。そのうちの1冊が、『江戸に学ぶエコ生活術』。
『江戸に学ぶエコ生活術』について:
日本建築の研究者であるアメリカ人のアズビーさんが執筆した本の日本語版。
今から約200年前。江戸時代の日本も、今の世界と同じように、人口増加によるエネルギー問題や資源問題を抱えていた。それらを克服し、サステナブルな社会を実現させた原動力は、「足るを知る」という日本人の環境への精神的態度であった――。
これを読んで私は、本当の贅沢とは何か、と考えていた。
それは突き詰めてみると、私にとっての幸せとは何か、という問いにも通じる。
勿論、私だってお金持ちになりたい。
でも、余るほどお金があったら何がしたいか、と言われると、それも困ってしまう。
そうね、強いて言うなら、プライベートジェットに乗って、あれこれバトラーに世話をしてもらい、一流シェフが作る高級食材を使った料理を食べ、有名シャトーのワインを飲み、足つぼマッサージをしてもらいながら、オーロラを見る・・とか?
最&高かよwwww
というのは、半分冗談で・・まあ一生に一回くらいはこんなのしてみたいと思うけれど、これが毎日毎日だときっと飽きてしまうんだろう。
贅沢と感じるか感じないかは、結局精神性にかかっている。
私はよく銭湯に行くけれど、私にとってこれはまさに至上の贅沢だ。
フランスで住んでいたアパートには、バスタブなどなく、テレフォンボックスのような狭くて小さいシャワールームしかなかったから、夏はともかく冬が死ぬほどつらかった。
足を延ばして暖かい湯船につかり、ぽかぽかに心も体も癒される・・・そしてそれがワンコインとな!銭湯文化は間違いなく日本における最重要文化財だ!!
話が少しズレたけど、要は、“ない”生活をしないことには、贅沢を感じて、ありがたいと“感謝”できないのではないかと私は思っている。
お金がなくて、塩パスタしか食べられない日もあった。
バイトでは、その日に必要なエネルギーを全て摂取してやる!と、店長が引くほど賄いをがっついていた。
洗濯機がなかったので、手洗いしていた。←これめっちゃつらかったw
そんな極貧の生活を思いがけず経験したおかげで、給料をもらえるようになってからは、文明の力は本当に素晴らしいと涙することもあった。
ただ、帰国して久しく、最近はその気持ちも薄れてきてしまっている気がする。
そういう自戒を込めて、私は“不便な旅”を企画提案したいと、ずっと思っている。
さっき言ったような、贅沢な旅も素敵だ。
帰ってきてから反芻して、「よかったよねぇ」と別世界のように思い返す、旅のノスタルジーは何にも代えがたい。
ステキだった数日の思い出を支えに、ツラい日常生活を乗り越えようという気持ちもわかる。
けれど、逆にツラい数日を体験することで、当たり前だった日常生活がステキに思えるようなアプローチがあってもいいと思っている。
究極、無人島生活のようになってしまうが、携帯も、電波も、火も水も、“ない”生活を、年に一度でもすることで、帰ってきてから、当たり前に思っていたいつもの“ある”生活に、心から感謝できるようになるのではないだろうか。
具体的にどうやるのか、まだ考え中で、あんまりまとまっていない。
けれど、社会の流れ的には、内的に自分を見つめなおす旅行のニーズがどんどん増えてきているので、アクティビティや宿泊施設に関しては事欠かないと思っている。
それに、禅やアニミズムといった日本の仏教・神道文化は、今のサステナブル、エコロジー、ビーガンといった考え方と親和性が高い。
あとは、どういう切り口でそれを形作るか。。。。と、考えていたらお腹空いてきた。
足るを知るも大切だけど、腹が減っては戦はできぬ。ご飯もしっかり食べなきゃサステナブルではないので、本日はこれにて!!