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「書く」「読む」もトランス。

ライターという仕事は
書くことが好きで
文章が湧いて出る人がやるイメージだが
私はといえばそうではない。
毎回産みの苦しみを味わっている…

幼い頃から話すことが苦手で、
自分の思いや考えを整理して伝えるために
手紙やメールに書くということをしていたのが
訓練になっていたのか、
ある日「書けそうだね」と言われて
ライターになった。

以来、常に原稿を書き続けていたので
プライベートでは書きたくないと
SNSも大してやっていなかったのだが
誰かが求める原稿を書くのではなく
そろそろ自由に書いてみたいと始めてみている。

とはいえ何を書いたらよいのかわからず
しばらく悩んでいた時に、

この本で↓


この本が↓紹介されていたので読んでみた。



古い本なので
現代には当てはまらないことも多いが
共感できることもたくさん。

まず、読書についてです。

本をかくということは、かき手の立場からいうと、やはり、ひとつの世界を構築するという仕事である。 そして、本をよむということは、その、著者によって構築された世界のなかに、自分自身を没入させるという行為である。それができなければ、本は理解したことにならない。すこしずつ、こつこつよんだのでは、構築されたひとつの世界が、鮮明な像をむすばないのである。


没入は、催眠状態だ。

世界を構築している時も
その世界に没入しているだろう。



そして、日記について抜粋。

「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。

日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがよい。

自分自身にむかって提出する毎日の経験報告なのだとかんがえればよいのである。


私のnoteも、
そんなふうになってしまうかもしれません。

ナラティヴに
フリーライティングで書いていくので
興味のあるものだけ読んでいただけたら幸いです。


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