「夕飯何食べたい?」「何でもいいよ」問題について
「夕飯何食べたい?」って聞いた時に、「何でもいいよ」だなんて、そんな返事するなー!ってよく言われてるけど。これ、実はちょっと違うんじゃないかな、と思っている。
「何でもいいよ」って言われるのが一番困る、と感じる原因は、「何でもいいじゃ聞いた意味がない」「あんたって自分の意見がないの?」「夕飯なんてどうでもいいと思ってるの?」「どうして一緒に考えてくれないの?」といったことを感じるからだと思う。毎日毎日、夕飯のメニューを考えるのって本当に大変だ。ちょっとは考えるプロセスに参加して欲しい。それなのに、なのである。
でもちょっと待て。「夕飯何食べたい?」は、そもそも相手の食べたいものを聞いてあげるための、相手への思いやりのセリフじゃないか。思いやりのセリフなら、相手がどんな返事をしたっていいはずだ。それが思いやりというものだ。でも、実際には「何でもいいよ」じゃ納得いかないし、冷蔵庫にない材料が必要なメニューや手順が大変すぎるメニューを具体的に言われても「そんなのできるわけないじゃない」「どうして分かってくれないの」になってしまう。「何でもいいよ」の返事にだって、「めんどくさ」な意味合いだけではなく「こっちの都合じゃなく何でもそっちの都合優先でいいんだよ」といった思いやりの気持ちが込められている時だってあるのに。
つまりこれは、セリフが間違っているのだと思う。そんな時は思いやりを装ったひっかけ問題みたいな「何が食べたい?」じゃなくて、問題提起で相手に考えさせる「夕飯どうすればいいと思う?」を使えばいいのではないだろうか。できればさらに具体的な情報、例えば「冷蔵庫には鶏肉とにんじんと玉ねぎがあるんだけどさ」とか「今日はできるだけ簡単なものですませたいんだけど」といった材料問題、手間や手順問題についての情報も添えるといい。男性(または家事担当ではない女性)は問題解決が好きなタイプが多く、目の前に問題を投げ出されたら、嫌でもつい解決法を考えてしまう習性がありがちだ。具体的な情報を与えて、解決法を考えさせる方向に持っていけば、割とすんなり動いてくれたりする。とはいえ、同じことを言うにしても、「たまにはあなたも考えてよ!」という態度でいるときっとうまくいかない。コツは「どう思う?」と当事者意識を持たせて、一緒に問題解決する方向にさりげなく引き込んでしまうことだと思う。
でも、相手はしょせん他人であって、自分ではない。自分では思いつかなかったようなアイデアを出してくれることもあるけど、自分の満足する答えが返ってこないことも多いと思う。だって、自分の満足する答えなんて、結局自分でしか出せないものだから。だから、過度な期待はしない方がいい。聞いたところで満足のいかない返事が返ってくるかもね、というのも当たり前のように想定した上で聞いた方がいい。
そして「夕飯何食べたい?」は、材料も手間もちょっと無理してでも本当に何でも相手の食べたいものをつくってあげたいと思えるような誕生日や記念日に、本来の思いやりのセリフとしてだけ使うことにすればいいのではないだろうか。相手の答えに満足がいかなくても、特別の日なら素直に思いやりの気持ちが持てる。
だけどね。そうなんだけどね。これを読んだあと「夕飯何がいい?」って聞かれた方も、「その質問どうかと思うよ」なんて言わないで、分かった上で何も言わずに一緒にメニューを考えるプロセスに参加してあげてね。だって「夕飯何が食べたい?」には、あなたの食べたい物を作りたいって優しい気持ちがまったくないってわけでもないんだから。材料問題、手間と手順の問題、お互いの食べたいものの違いといった問題をすべて解決する夕飯のメニューを毎日考えるのって、ほんっとに大変なんだよ。
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