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自分が不幸を乗り越えた時、誰かのキッカケになると思えるか。
さてさて、実質第一回目。つらつらと想いや感情を記していこかな。
5児と2犬を産後2週間(しかも帝王切開)から、現在約4ヶ月弱ワンオペなうなうやから、更新が不定期になりんす。
前回の記事で触った幼少期。
愛する家族に愛され(また家族のことは記事にしようかね)スクスクと育った中、神様(無宗教なのでおらんとは思っとるけど、ピンチの時は神頼みしてまう)は私に大きく分けて二つの壁をドドーン!と「置いてくで〜乗り越えや〜」とやりやがったされます。
1型糖尿病
と
大怪我
です。
1型糖尿病についてはまた記事にしますね。
とりあえずURLは置いていくぜ
今回は二個目の大怪我について。
これは私の考え方の基盤となった私に必要だった大怪我について記していこうと思う。
大怪我とは人間の身体の中で1番太い骨
左大腿骨骨折したことである。
大腿骨が折れる場合を検索しても
「大腿骨の骨幹部は、極めて強い外力を加えられた場合しか折れません。」と記されています。
そんな太い骨が(ちなみに骨密度もまーまーある)
陸上競技中距離種目の800mを走っている最中の転倒で折れた。
運悪くフィールドとトラックを分けている縁石の上で転倒してテコの原理で折れた。
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中学2年生の5月3日。
800mがスタートし、300mのあたりで事故は起きた。800mや1500mという種目は腕バンバン当たるし、当てるし、なんせ走る場所取りのため格闘技みたいなもんなのですわ。レーンが分かれているのは400mの種目までで、800mは100m過ぎからセパレートゾーンからオープンレーンでみんな一緒になるんす。
そこでの接触によりめちゃくちゃ変な転け方(縁石の上で足をクロスした長座体前屈のような感じ)をして折れた。それはそれは観客で見ている友人は『「ボーン」という音が会場に響いた』という程だった。
不思議なことに痛みは無いが、立てない。自分の太ももが真ん中で曲がっていた。
「関節なんてあったっけ?」
と思ったのと、前に人が居て、めちゃくちゃ近くで向かい合わせで体操座りしている様な感じで自分の膝が内側に折れ曲がり真っ正面から見た。おかしい。痛く無いけど、これは折れたな、と。
急いで足をもとの方向に戻し、右腕を添え木のように抑えて、審判に「足が折れました」と冷静に伝えた。
レースは続いているので、トラックからフィールドに移動し、タンカに乗せられて医務室へ。
そこからは、断片的にしか覚えていないが、どんどん腫れ上がる太もも、止まらない汗、忙しなく入れ替わる人、心配そうな母の顔、救急車の音。だんだんと痛みが出てきて心臓が太ももに移動したような感じ。
持病があるので、かかりつけの病院へ向かう救急車は高速道路を走り、救急車のベッドは揺れに備えるため微妙に前後左右に動く。それが痛くなってきて、歯を食いしばる。病院に着く手前で意識が落ちたりハッと起きたり。起きたらただひたすら酸素濃度の数字ばかり見つめていた。
病院に着いてからは、レントゲンを撮るため足を開いた状態、また逆の状態、伸ばした状態に動かされて、撮影。これがもうほんまに地獄やった…
もちろん即入院が決まり、ズレた骨を元の位置まで戻さないと手術が出来ないため、牽引が始まる。
服装はユニフォームのまま、局部麻酔をされ、まだ少し感覚が残る中、隣で外科の先生が"ウィーン"と動くドリルを手にしている。
『自動じゃなくて手動を持ってきて』
ん?なんかウィーンから手で回す"キコキコ…"に変わったな。
ん?ん?…んんんんんん!?!?!
膝上をなんかあつぅいものが走る。
あ、穴開けとる…?
と脳が理解した瞬間、ドリルが骨に当たり、もうそれはそれは目玉が落ちそうな痛み。
「んああああああーー!!!!!!!」と声にならない声が口から勝手に出る。
無事に真っ直ぐ膝上に棒が横に入って、4kgの重りで折れて重なった骨を元に戻す牽引生活が始まった…膝上に開けられた穴から血が流れ落ちる。
夜も固定された足のまま、寝るが、寝返りしようと動けば激痛で起きる。足が少し動く度、貫通している穴から血が流れる。
ただ、私は陸上選手。そう簡単に骨を元の位置に戻すもんか、と筋肉が頑張るため、翌日から数えて手術が決まるまでの11日間の牽引の間、4kgの重りではびくともせず、最終6.5kgをぶら下げることになる。
ベサニーハミルトンとの出会い
5時間にも及ぶ手術を事故から12日目に行い、ボルトや棒を骨に打ち込んだ手術を無事終えた。入院生活は約1ヶ月ほどやった。
骨がくっついたら、再度抜く手術をする予定やけど、この怪我がどれだけ陸上選手にとって選手生命を奪う様な怪我なのか、考えてほしい。ましてやそれが14歳の子供に起こった。
一つ目の壁の1型糖尿病より、この怪我の方が私にとって「絶望」を感じる出来事やった。
私にとって、いちばんの武器が。
どんな時間より磨きに磨いた武器が。
走る事を中心とした生活やったのに。
私含めて、指導者、家族、みんながお通夜状態。
中学2年生で全国優勝まで視野に入る記録で走っていたので、この怪我の「全治1年」がとても、とても重かった…
でも、神様は私に一つの希望をくれる。
私の人生のバイブルと出会う。
お見舞いで近所の憧れるお姉さんからいただいた。
今の生き方、モットー、私の人生の基盤となる人物、生きる伝説と言っても過言ではない
片腕のサーファー、ベサニー・ハミルトンだ。
もちろんリアルの彼女はハワイ在住なので、私が出会ったのは「ソウル・サーファー」という本。
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サーフィンで活躍する13歳だった彼女は、運命の朝、サメに片腕を食われる。身体から大量の血液を失い急死に一生を乗り越え、約1ヶ月半で海に戻る。生きることを諦めなかった奇跡の物語。
これは実話であり、彼女はその後、大きな大会で優勝する。
彼女と私には共通点がいくつかあった。
好きなスポーツがあること。
兄が二人いる末っ子なこと。
負けず嫌いなこと。
ーそして、帰る場所があること。
読んでいくうちに自分と重ねて読んでいた。
そこで、自分と重ねた彼女が言う。
『私はあきらめない。
運命が私から何を奪っても、明日を信じて今を生きる』
『誰かが希望を見出す手助けができるなら、
私が腕を失った価値はあったと思う』
この言葉ほどこの時の私を奮い立たせる言葉はなかった。
ここから約9ヶ月後、2時間に渡るボルトを抜く手術をし、指導者と二人三脚でリハビリを死ぬ気で行った。それはもう死ぬ気で。一回死んだ様なものだ、と歩く練習を翌年の2月から行えた。
「ベサニーはもっとしんどい練習をした」
「ベサニーは片腕がない状態で海に戻った」
「私には思う様に動かないけど足がまだある」
その思いを読書感想文にも記し、賞をもらった。
多分、私の熱量に押されたんやと思っとる。
リハビリから3ヶ月後、事故があった5月3日の翌年、5月4日の大会で神戸市優勝、見事に復活出来た。この時の私を、今の私が思いっきりよしよししてあげたい。
これは私に必要な試練やったと断言出来る。
自分の不幸を他人の希望を見出すためのキッカケという考えになったからだ。
今でも、うまくいかないことにぶち当たると、「なんでやねーん」とがっくりくることもあるけれど、
あの時のリハビリに比べたら、
あの時の痛みに比べたら、
あの時の絶望感に比べたら、
私の中の「あの時と比べたら」が出来たし、ベサニーに出会うこともなかった、私のモットー「誰かの希望を見出すキッカケになれるなら、私は大怪我、1型糖尿病になった価値はあった」という誰かの夢に寄り添えるような言葉に出会うこともなかった。他人の不幸を笑うことは簡単、子供にも出来ること。
話めちゃくちゃ変わるけど、ピクサーの「カーズ」ファンの私はカーズ クロスロードに出てくるクルーズラミレスの言葉「後ろ向きの力を前に」というセリフに この経験を重ね、深く共感した。(最近見た映画の中でもうダントツの一位。めちゃくちゃいい映画、全世界の人が見るべきだ。ちなみにタイヤ交換の天才、グイド推し)
ダメなこと、嫌なことがあっても、それを乗り越えるパワーは誰かの希望を見出すキッカケになるかもしれない。そう思うと、頑張れる気はしないかい?
最後に、賞をとった私の読書感想文の最後の言葉で締めくくるとする。
まだ私は完全には走れない。
けれど、出来る事から始めよう。
足が痛くて、うまく歩けなかったり、走っている途中、突然痛くなったりする。
だけど、「ベサニーは、もっと痛い思いや、しんどい思いをしたんや」と思うと頑張れる。
そこで乗り越える神経と、頑張る気持ちを決して忘れてはいけない。
敵は自分だ。
(ベサニー・ハミルトン著・「soulsurfer」)
ー2013年 風見鶏 より